Vol.285 06年2月25日 週刊あんばい一本勝負 No.281


机にへばりつきながら

 ほとんど雪のない、穏やかな1週間だった。雪が降らないだけで気分がいいし、心身とも活動的になる。で、唐突に秋田県の自殺率の高さと「冬の閉塞感」はやはりどこかでリンクしているのではないだろうか、などと考えてしまう。それほど今年の雪はダメージを与えたということだ。ひさびさに春の到来を予感させるような天気だったが、個人的には、のどの奥が痛くて、痛みの取れないまま過ぎた1週間だった。「風邪だな」と散歩やストレッチなどをやめ、休養をとるようにしたのだが、なかなか痛みは取れなかった(ようやく楽になったところ)。昔のようにちょっとした体調不良なら一晩寝れば治る、という年ではなくなったようだ。
 仕事のほうは、「新しい企画」を考えるのに夢中で、ほとんど机の前に張り付いていた。無明舎の初期のころの舎員で、いまも校正を手伝ってもらっているM君から細かなアドヴァイスをもらいながら、名著といわれた昔の郷土本の復刻をあれこれ考えていた。復刻は、いいなと思っても著作権者や版元の了解が得れなかったり、遺族との折衝が難航することがあり、机上だけではどうにもならないことが多いのだが、ヘタな新刊を出すよりもずっとインパクトが強く、売れたときの喜びもひとしおだ。昔より今の企画を、といわれそうだが、これは決して「後ろ向き」の発想ではなく、ときにはこうして先人たちの優れた作品をリニューアルするというのも版元の重要な仕事、といつも思っている。あ、今週は3回、違う新聞記者の取材を受けた。これもちょっと頻度が高いので書いておいてていいことかも。
(あ)

No.281

讃歌(朝日新聞社)
篠田節子

 朝のひととき、歯磨きと同じようにFMラジオでクラッシックを聴くのが日課だ。土日は別番組なので、日常のリズムが狂うほど、それは暮らしになじんだ習慣になっている。とはいいながら曲名や作曲者の名前はほとんど覚えられない。ただ好きなだけだから演奏者の巧拙の判断などつくはずもない。そんなレヴェルのクラッシックファンである。本書の主人公は「天才ヴァイオリニスト」。すでにこの言い方からして波乱と悲劇の物語を予想させるが、この女性の物語と並行してテレビ・ドキュメンタリーの制作現場が重なるように進行する。天才ヴァイオリニストとテレビ・ドキュメンタリーを組み合わせた、かなり意表をつく社会派の小説といっていい。従来の小説作法にのっとったおもしろい物語だが、それだけに収まりきらないテーマの「あたらしさ」を感じさせる。とにかくいきなり登場する天才ヴァイオリニストという「概念」が曲者だ。だって「天才」だといったい誰が認めたのか。その判定こそ最も難しい問題ではないのか、という読者の疑問を少しずつ解き明かしていくミステリーの要素も含まれている。「熱意」や「感動」に突き動かされ「誠意」を持ってつくられたテレビ・ドキュメンタリーの製作現場にも大きな「落とし穴」がある。ミステリー小説ではないのにハラハラドキドキ、小説家ってすごいなあ。

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