Vol.302 06年6月24日 週刊あんばい一本勝負 No.298


無気力な1週間

 もう30年以上こんな仕事をしているのに、この1週間はかなり特別な「日常」になってしまった。毎日ラーメンを作るようにルーティンワークを規則正しくこなすのが好きだ。単調で退屈そうだが、単調こそ持続と発展の礎、と信じているし、仕事は退屈の中によろこびを自分でつくりあげるもの。事務所に来て家に帰るまで、いや帰ってからの行動まで秒単位で同じ毎日を繰り返すのが苦痛どころか快楽に感じてしまうタイプなのである。ところがこの1週間、まったくそのルーティンワークをやる気が起きなかった。これはかなり珍奇で、とまどう展開である。ちょうど忙しさから抜けた仕事の空白帯だったのが直接的な理由だろうが、過去にもこんな時期はいくらでもあった。そんなときは自分で仕事を作り上げ、そこに集中するのが常だったのだが、その気も起きない。まったくどうしてしまったのだろう。事務所に行く気が起きず、そのまま朝から書斎にこもって昨晩の続きの本を読んだり、レンタルビデオの映画を見てしまう。まるで引きこもりだ。歴史が繰り返すというのは嘘。同じように自分の日常も年とともにまったく新しい領域に足を踏み入れつつあるのかも。仕事三昧の日常を見直す時期に来ているのかもしれない。ちなみに家では高野秀行の文庫を何冊も買い込み読んでいた。高野の本はあらかた読んだので、この次は山田稔の本を集中的に読破するつもり。映画は森繁の「社長シリーズ」と「駅前シリーズ」を10本ほど。この時代の役者のうまいこと。三木、小林、フランキー……淡路、池内、司といった女優もきれい。中学生の頃から「若大将シリーズ」より「社長シリーズ」のほうが好きだった。たぶんこの女優人のきれいさが原因なのかも。今週からは元のペースに戻りたい。
(あ)

No.298

日日是好日(飛鳥新社)
森下典子

 「お茶が教えてくれた15のしあわせ」というサブタイトルがいい。週1回、25年間通い続けたお茶の稽古を軸に、その時間の中で自分に降りかかった喜怒哀楽を、四季の美しい情景とともに、静かにさりげなくつづられた、目から鱗の(自分史の本の書きかたとして)逸品である。文字組みも造本もきれいで、お叱りを受けるかもしれないがとても飛鳥新社の本とは信じられない丁寧で美しい本だ。中身も同じく、りんとして、背筋の伸びた、レヴェルの高い本に仕上がっている。著者の代表作になるのは間違いないだろう(といっても「典奴もの」ルポを2冊しか読んだことないのだが)。お茶の入門ガイドとしても充分機能しているし(こんな形で書いてくれなかったら茶道の本を手に取ることなんてなかっただろう。のみならず男の私までが「お茶」を習ってみようか、などと思ってしまうほど、わかりやすくインパクトがある)、季節感をこまやかに、鮮やかに描いた質の高い五感で季節を味わえるエッセイ集としても読める。何よりも自分史がこんなな方法で(習い事を主題にして自分を語る)「作品」にまで昇華できることを、この本は証明してくれた。最近読んだ傑作、工藤美代子『それにつけても今朝の骨肉』よりも、静かで事件が起きないぶん、感動はこっちの本が大きい。

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