Vol.403 08年6月7日 週刊あんばい一本勝負 No.399


鳥海山のふもとで……

私の親族のなかでは異質のキャラクターをもっていた旧六郷町のAさんが亡くなった。82歳。弟の仲人でもあり、うちの著者でもあった。冷静で、穏やかで、学者肌の知的な、親戚のなかでも尊敬のできる文化人のひとりだった。2ヶ月前に「入退院を繰り返したが小康状態にあり、でも頼まれている原稿は書けそうもない」といった内容の手紙をもらったばかりだった。だから、こんなに早い訃報を聞くとは思ってもみなかったので驚いた。喪主であるご長男にもはじめてお会いした。父親のいい血を受け継いだようで、ある有名大学の大学教授になっておられた。

Aさんの葬儀から1週間後、今度はにかほ市に住むKさんの奥さんから、「夫が脳梗塞で亡くなった」と言う電話。そのあまりにあっけない言い方に「えっ!?」と何度も聞き返してしまったほど。Kさんはまだ62歳。健康に絶大な自信を持ち、森林伐採の力仕事を先頭に立って監督する人だった。彼もうちの著者で5冊ほどの著作がある。ほかにも何冊かペンネームやゴーストライターとしての著作もあるから、わが舎の功労者である。独身時代は秋田に拠点を置きながら、沖縄・鳩間島や長崎の五島列島に住んで漁師をしたりで、放浪癖のある人だった。彼に原稿依頼をするという名目で、そうした南の島々を訪ね歩いたのも懐かしい思い出だ。20年ほど前から鳥海山のふもとで自給自足の生活を始めた。そこにキャンプ(遠足です)に出かけたわが舎の社員G子さんと結婚、3人の娘さんをもうけた。ここ数年は音信不通だったのだが、唐突の訃報に、うろたえてしまった。

鳥海山のふもとに居を構えたKさんが倒れてから亡くなるまでの2日間、私も偶然にその鳥海山にいた。4合目の大清水小屋登山口を出発し、8合目の唐獅子平避難小屋で1泊した。小屋に着いてから食欲がなく寒気までするので早めに寝袋にもぐりこんだ。昔、ペルーのマチュピチュに行くためクスコに2日間投宿した時、突然何の前触れもなく食欲がなくなったときのことを思い出した。あれと同じ症状……高度障害だ。朝になると気分はよくなっていた。天気予報は大荒れの風雨だったが、朝方、奇跡のように晴れ渡り、きれいなご来光が拝めた。七高山目指して登りはじめたら、とたんに天候は崩れ出しガスがかかった。風がひどく前に進めなくなり、山頂200メートルを前に引き返してきた。この山行の間に、同じ鳥海山で、予想だにしなかった友人のドラマが進行していたわけだ。合掌。
(あ)
唐獅子平小屋からご来光みる
山頂付近は風雨でメガネが曇もり、はずしてしまった
下山したら快晴。大清水小屋からみた鳥海山

No.399

TOKYO0円ハウス0円生活(大和書房)
坂口恭平

 隅田川のブルーシートハウスに住む鈴木さんは理想の家を持っている。材料から設計、施行まで、なんと0円でできた家だ。建築探検家である著者は、その鈴木さんの家に通いつめ、何度もインタビューし取材を重ねて完成させたのが本書である。以前に出た写真集「0円ハウス」(リトルモア)で、著者の存在は知っていた。しかし写真を見ても路上生活者の家の見事さは理解できても,彼らの暮らしぶりまではよくわからない。写真集では触れられなかった路上生活者の暮らしや本音が、本書では克明に描かれているのも魅力だ。著者は自分でも何度か「文章がニガ手」と書いていて、お世辞にも文章はうまいとはいえない。が、鈴木さんとの信頼関係の強さが、その弱点を補って余りある。私自身、個人的に興味があったのは鈴木さんの家を褒めれば褒めるほど、「でも家が建っている場所は国有地。違法行為なのだから、この本を読んで国土交通省が激怒して、撤去に動いたら、鈴木さんを追い詰め、家は消えるのでは」という危惧だった。そのことについてもは本書では中ごろで触れている。国土交通省が見回りに来るのは月1回で、その日にあわせて路上生活者たちは家を解体するのだそうだ。そして見回りがいなくなると再度組み立てる。こうした馴れ合い的イタチゴッコをしていたのだ。ナルホド、そういうことだったのか。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.399 5月10日号  ●vol.400 4月17日号  ●vol.401 5月24日号  ●vol.402 5月31日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ