Vol.451 09年5月9日 週刊あんばい一本勝負 No.446


GW・庄内・蕎麦屋に死者

 今年のGWは庄内地方に出かけ鳥海山の周辺をウロチョロしてきました。去年と同じです。
 スタートの日は仕事がらみで山形市まで行ったのですが、車でも2時間ほどで着きますから、昔に比べると交通環境はかなり改善されています。
 途中、天童市で、わが祖先の住んでいた山元地区の山城跡を訪ねてきました。もうリンゴ園になっているのですが、1602年、最上氏との抗争に敗れ、秋田に落ちのびるまで小さな城を構えていた場所です。そのリンゴ園の持ち主にご挨拶をして一路山形市へ。夜は印刷所の担当者と会い一献。この夜、食べた物の何かが当たったのかホテルで夜中にゲイゲイ吐き、一睡もできないアクシデントに見舞われました。翌朝早く酒田に移動したのですが、今年のGWはこの時点でアウト、もう諦めよう、と思ったほどの体調不良でした。何とか友人たちとの約束の場所である遊佐町までたどり着いたのですが、いざ「GW庄内山歩き4泊5日」の旅がはじまりと、あら不思議、体調はグングン快方に向かっていき、森を1時間歩くと逆に心身共に冴えわたっていました。森の力です。初日は秋田県側の鳥海山の森を散策でした。ガイドは遊佐町のYさんで、この辺の森を知り尽くしている人、道なき道をグングン山深く入り込んでいきます。その日は海の波音がうるさい古びた旅館で一泊。2日目は鳳来山に登り、「しらい自然館」というなかなかゴージャスな国の補助(林野庁)で建った宿泊所に泊まりました。3日目は月光川周辺で川遊びをしてから酒田市内に出て、土門拳記念館や友人の写真展に顔を出し、夜はまた「しらい自然館」泊まり。4日目は船で「飛島」へ。半日間森歩きを楽しんできました。

 4日間とも全く雨が降らず好天続きでした。森歩きは好天が何よりのごちそうですが、たまには雨の森歩きというのも風情があっていい、というのはないものねだりでしょうか。でも山形といえばなんといっても蕎麦。山形に向かう途中の新庄市にうまい蕎麦屋があるというので、まずはそこで昼食。「いせき」という店なのですが、山形名物「板そば」で、やっぱりうまい。その日の夜も山形市内の蕎麦屋で、印刷所の担当者と夕食です。ここは「梅蕎麦」という名前で山形の店では異例の江戸風の蕎麦屋です。ここも満足。酒田ではいつものように生石にある「大松屋」で蕎麦を食べました。ここは定番です。そういえば想定外だったのですが、飛島で食べた「みはらし食堂」のトビウオラーメンもうまかったなあ。

 ほぼ1週間、テレビも新聞も観ていないので、帰ってきてデザイナーの粟津潔さんと歌手の忌野清志郎さんが亡くなった事を知りました。忌野さんは知らない人ですが、粟津さんはその昔、一度秋田に講演に来てもらったことがあります。1週間もあれば、知っている人が必ず一人は亡くなってしまう、という恐ろしい年齢になってしまいました。
(あ)

No.446

イメージを読む
(ちくま学芸文庫)
若桑みどり

 著者は千葉大学の教養学部で美術史を教えている(いまはどうかわからないが)。1991年秋、今度はたまたま北海道大学に5日間の集中講義に呼ばれる。美術史は一般大学ではマイナーな存在で、教授の数も少ないから、こうした講義もよくあるのだそうだ。本書はその北大での集中講義を編んだもの。ミケランジェロやデューラー、ジョルジョーネやダ・ヴィンチの名画について、語るだけでなく、絵がはらんでいる謎までを解き明かすミステリーのような本である。こんな構成の講義なら専門外の学生にとっても面白いだろうな。特に日本人には最もなじみの深い「モナ・リザ」についての項が、抜群に面白い。いきなりダ・ヴィンチは無神論者であることが明かされる(ホモセクシャルの噂もあるが、この辺については詳しくは触れていない)。ここがキーポイントだ。ダ・ヴィンチはいったい「モナ・リザ」で何を描き、どんな意図を託し、何を訴えたかったのか。それが解き明かされていく。ダ・ヴィンチは著者が言うように、そのような意味や危険(その理由はここでは書けない)を冒してまで絵を描いたのか。それはうがちすぎではないのか、と思わないでもないのだが、実はダ・ヴィンチは、あからさまではない形で文章もたくさん残していて、その文献方面から研究で、絵のなかに描かれた思想や意味を読み解くことが可能になったのだそうだ。なるほど。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.447 4月11日号  ●vol.448 4月18日号  ●vol.449 4月25日号  ●vol.450 5月2日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ