Vol.454 09年5月30日 週刊あんばい一本勝負 No.449


あわただしい1週間でした。

 水曜日から金曜日まで盛岡、仙台、山形、酒田を回って、今日ようやく帰ってきた。この3日間でいろんな人に会い(というほどでもないか)、車中で2冊本を読み(電車移動だった)、蜷川実花の展覧会を観て、最終上映日の『グラン・トリノ』に滑り込んだ。岩手日報に全3段の広告をうち、本も2冊出て、夏のDM発送の注文も入り始めている。なんだかやけに目まぐるしく日々を過ごしたような「気疲れ」が身体に残っているのだが、仕事場を離れると、世の中があわただしく動いていることを実感、ヘトヘトになってしまうが、こんな疲労感も必要なようだ。

 ところで、その読んだ本だが、三浦しをん『神去なあなあ日常』と熊谷達也『ゆうとりあ』の2冊。どちらも過疎の村を舞台にした物語で、森や動物がテーマの一角を占めている。どちらも面白かった。そうか、こんな形で物語になるのか、という驚きのほうが大きい物語だった。それにしても電車で移動すると本がスラスラ読める。東京の本屋さんが生き残っているのは「電車通勤」が存在しているから、というのが小生の持論だ。

 留守にしていた3日間に2冊の新刊ができていた。1冊はページ数720という大冊の『菻澤歳時記』という復刻本、もう1冊は非売品の本なのだが、『文法の復権』という元明治学院大学教授・工藤進先生の本。非売品の本だが実は3刷である。工藤先生は秋田出身でフランス語の先生で、この本はフランス語および言語論についてのエッセー集である。お読みになりたい方は、便宜を図ります。

 そんなこんなで、もう週末、「私の山の時間」です。明日はひとりで太平山に登って来るつもりです。明日、晴れるといいなあ。
(あ)

No.449

荷風さんの戦後
(ちくま文庫)
半藤一利

 この著者の講談調でディフォルメの効いた「幕末史」や「昭和史」を読んだおかげで、すっかり歴史好きになった。その御礼に(?)漱石や荷風について書かれた本も読むようになったのだが、こちらのほうも歴史ものに負けず劣らず面白い。明治の文豪たちの原典をほとんど読んでいないくせに、それなりに知識を仕込み、知ったかぶりしようというこちらの魂胆を見透かしたかのように、難しいことをやさしく、簡単なんことをやぶにらみして、グイグイと読ませる能力に著者は抜群に長けている。「荷風」については山ほど類似書があるのに、敗戦前夜からはじめて、その死まで、14,5年間のみに絞って歴史的な事件と当日の荷風の行動を対比、昭和史と孤高の作家の晩年の心象風景とをクロスさせながら描く手法はこの著者ならではのもの。本を書くというのは、やっぱり切り口、視の置きどころが大事、といいうことがよくわかる一冊だ。欲張らずに焦点を定め、定めた目標に一直線ではなく、わざと寄り道を繰り返しながら、さらにゴールの見えそうなところで、また寄り道。これが読者をひきつけるコツ、とわかっちゃいるが、そのとうりやれるのはひと握りの達人だけ。元編集者だけに、このへんの読者の気持ちが誰よりもよくわかっているのだろう。

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