Vol.464 09年8月8日 週刊あんばい一本勝負 No.459


塩熱飴とクーラーと山歩き

熱いッ、モーレツに熱いッ。でも窓からは隣の家(私の自宅)で屋根修理をする板金工の人たちが炎天下のトタンの上で朝から晩まで仕事をしている光景が眼前にみえる。なんとも申し訳ない気持ちになり、クーラーをキモチ抑え気味に25度に上げた。夏は苦手だ。汗っかきだから暑さにめっぽう弱い。

山歩きの面白さに目覚めて3年。県内の山を中心に年間50座ほど登る。もう初心者という謙遜は無理なのだが、つい最近まで、どんな山に登っても途中で足にケイレンが起きていた。やはり初心者なのである。登りは3時間がメドで、それ以上歩き続けると、かならずといっていいほど足にピクピクが来る。運よく何事もなく下山しても、そのあと温泉に入ったり、就眠中のベッドで、ビクビクッとくるケースが多い。入念にストレッチしてもダメ。水分もしっかりとるし、栄養補給もこまめに行っているのに。
ある日、大阪の山友達(女性たち)にこの悩みを打ち明けたら、「あれ、塩分摂らないの?」と唐突に言われた。水分と糖分ばっかりで、塩分を摂らないのがケイレンの原因であることを指摘されたのだ。翌週から塩熱飴(ミドリ安全)という優れものの飴をなめるようになった。憑きものが落ちたようにケイレンは治まった。以後、見事にケイレンは起きなくなった。汗で失われた塩分を補給してなかっただけなのだ。

ケイレンが起きなくなって山歩きが一層楽しくなった。が、この7月に入ってから4回登った山(鳥海山・焼石岳・森吉山・杢蔵山)はすべて目も当てられないほどへばった。それほど苦労せずにこれまでも登った山なのにヘロヘロになってしまうのだ。まるで熱のある病人がはいつくばってトイレに行くようなあんばいで山頂にたどり着く感じ。年なのか、それとも疲労が蓄積しているのか……いろんなことを考えてみたが、納得がいかない。さらに、もう何年も歩いている夜の散歩コースが7月に入ってから急にきつく感じられるようになって、ようやく気がついた。疲れの原因はクーラーだ、と。犯人はクーラーにちがいない。西日の強い仕事場では「23度」に設定してある。とりあえずこれを26度まで上げることから、暑がりの消極的クーラー対策をはじめている。

(あ)

No.459

ゆうとりあ
(文藝春秋)
熊谷達也

 自分がその年齢に達したからかもしれないが、定年後の過ごし方に興味がある。「興味がある」というのも無責任な言い方だが、こちらには定年の年齢制限がない。たぶん死ぬまで仕事の第一線を離れられない個人経営者だから、立場はおのずと違う。だから一流会社務めを終えた人物たちが定年後に「何を望み、どんな生きがいを求めて、時間をつぶすのか」について少々意地悪な興味がある、と言ったほうがいいだろう。これまでも、そうしたルポや小説の類を好んで読んできたが本書はテーマと舞台設置がまさにど真ん中ストライク。駅の書店で見かけて衝動買いしてしまった。一流会社を定年退職した三人の男たちの生き方をコミカルに描く小説というコピーだが、たしかに前半は面白いが、後半、みごとに失速。主人公の佐竹は妻と理想郷「ゆうとりあ」に移住、趣味のそば打ちを商売にしようとも考えている。脇役のもう一人のオヤジはなんとヘヴィメタ・バンドを結成、デビューする。三人目は熟年離婚後、経験を生かして会社経営だ。この辺の舞台装置と人物配置はさすが流行作家。佐竹の移住を軸に物語は展開するのだが、さあこれからというあたりから物語は著者が得意の「クマ」や自然保護、動物一般の話へと流れてしまう。後半のこうした話は著者のほかの本で読めるのだから、いらなかったような気がするなあ残念。

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