Vol.461 09年7月18日 週刊あんばい一本勝負 No.456


郵便年金が入金になっていた

今週末は3連休。雨が降りそうだが土曜日は焼石岳の予定だ。北海道・大雪山系の遭難事故で、あらためて山は怖い、と思う。いや怖いからこそ病みつきになるのだが、先週登った鳥海山ですら、歩くのをやめると全身の汗が急速に冷え、手足の先が麻痺したように凍えてしまう。山頂の寒さや風の強さは尋常ではない。

日曜日は庄内・酒田市泊まりの予定。酒田でいい仕事をしているカメラマンやデザイナー、イラストレーターの方々と、はじめて会って、いろいろ話をするつもりだ。秋田で仕事をしていると、どうしても身近なところで人材確保をしてしまい、いつの間にか仕事がマンネリ化してしまう。新しい風を吹きこんでもらいたい。来週は札幌で本の装丁家に会う予定だし、この年になると他力本願のパワーをうまく利用して自分を変えていくしか、手はないのかも。

うれしいような悲しいような複雑な心境になってしまった。「ゆうちょ通帳」に郵便年金が入金になっていたのだ。たいした金額ではないが、これから死ぬまで振り込まれる。国民年金も今年の10月から支給(もらうわけではない)なのだが、この郵便年金は50代に入ってから思い切って集中払いしたもの。まったく計算外で忘れていたので、なんだかギャンブルで儲けたような気分。私の仕事は個人商店と同じで年齢は何の関係もない。ボケずに健康でさえいれば70でも80でも、まったく現役である。……と思っていたのだが、今年の10月からは国民年金受給者になる。これもまあちょっぴり得したような、いや、いいかげん引退したらという勧告を迫られているような、なんとも複雑な心境のまま、その時を迎えそうだ。

たかが年金で動揺しているのは、なにせ生まれてこのかた人様から給料をもらった経験が一度もないせいかもしれない。学生時代に起業して、その日から「万年シャチョー」で、これまで生きてきてしまった。誰かからお金をもらうという経験のないまま還暦になってしまったのだ。いやはや何という人生だ、と思わないわけでもないが、何とか生きていけるもんだねえ、という感慨もある。
自分で払い込んだお金が返ってくるだけだから「もらう」わけではない。得した、などと言うべきではないだろう。平常心で対処すべきなのだが、どうにも貧乏人根性丸出しで、戸惑いもある。
(あ)

No.456

神去なあなあ日常
(徳間書店)
三浦しをん

 この著者の本は好きなほうだ。テーマの良しあしに大きく左右されるけど。 本書は「林業」「青春」「田舎暮らし」がテーマ。これは文句なしに私的には合格。青春の物語を描く舞台設定に「過疎の村の林業」をもってきたのはすごいしユニークだ。そうした作家のカンの鋭さに打たれて読みだした。まだ若い作家なのに、地味でダークな世界と思われがちな世界を、「カッコよく」描ききっているのには驚いた。テーマ設定そのものが冒険で、失敗してもおかしくないのに、自然や村や林業世界へ、読者を都会を遊泳するようにスイスイ誘ってくれる。満足度の半分以上は「若い作家なのに、よくこんな地味な世界に目をつけてくれた」という、特異な舞台設定への評価といってもいいかもしれない。「あとがき(謝辞)」に著者は主要参考文献を5冊あげている。うち3冊は林業と木の専門書(ガイドブック)で、後の2冊は、『屋久島の山守』と『聞き書き甲子園・森の作品集』である。これはどちらも塩野米松さんの著編書である。そうか、これがテキストで、それをベースに企画考案された舞台設定だったのか。全体のまとまり具合にここでようやく得心がいった。作家の作品には常にこうしたベースになる「テキスト」が存在するのだ、やっぱり。

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