Vol.457 09年6月20日 週刊あんばい一本勝負 No.452


最近なぜかタクシーに乗る機会が多い

経費の領収書を整理していたらタクシーの領収書がやけに多いことに気がついた。そういえば最近よくタクシーに乗っている。ふだんなら月に1回も使えば御の字なのだが、6月はもう10数回乗っている。昨夜も突然、仙台の友人から「秋田に来ているので会いたい」という電話で、けっきょくは行きも帰りもタクシーをつかった。

2週間前になるが、こんな体験もした。友人と角館で飲んでいて話が弾み、帰りの最終電車(新幹線)に乗り遅れた。翌朝はやくから用事があり泊まることができない。店のママさんが「秋田市までなら1万円で大丈夫」というのでタクシーで帰ることにした。角館―秋田間は約50キロ、高速を使っても1時間はかかる距離だ。結論から先に言うと、月明かりのなかをタクシーは高速を一切使わず、山道、農免道路を縫うように猛スピードで40分ジャストでわが家に到着。信号で止まったのは1回こっきり、たぶん100キロ以上のスピードで、カーレースのような走りっぷりだった。「角館に住んでいる麻酔医を夜中によく医学部の病院まで届けるので、ここは通勤道のようなもんだよ」と運ちゃんはうそぶいていた。

10数回乗ったタクシーのうち、運転手の半数近くが40代以下の「若い人」だった。まだ20代の青年もいたので、「最近の運転手は若いねえ」と話しかけると、不況で職がなく、2種免許取得の研修をタクシー会社がやってくれる条件なので、この仕事に飛び込んだのだそうだ。別の40代は「年金生活者か、独身の若者のどちらかしか、やれない仕事ですから。賃金が安くて」と説明してくれた。なるほど。

ふだんはほとんど自家用車すら乗らず、歩きか自転車だ。歩くのも自転車も両方好きなのだ。遠方に行くときはもっぱら電車。車の運転が得意でないこともあるが、車に乗ると本が読めないことが大きい。遠方から来た著者(お客用)にカード会社が発行しているタクシーチケットを会社で用意してある。このチケットを利用するようになったのが、タクシーと縁が深くなった最大の理由かもしれない。お客さん用、と言いながらも実際はほとんど自分用に使っているのだから世話はない。このチケット冊子がなくなったら、もう購入は止めようと思っている。
(あ)

No.452

吉村昭歴史小説集成〈一〉
(岩波書店)
吉村昭

 刊行と同時に全集(集成)一巻目を買い、その週のうちに完読。長い読書生活でもこんなことは初めてだ。全集を買うということが、そもそも珍しいのに、それをすぐに読むという経験も初めてだ。しかも、この一巻目に収められている「桜田門外ノ変」と「生麦事件」は、どちらも過去に文庫で読んだことがある小説である。自分の本の読み方が55歳あたりを境に変わってきているのは自覚していたが、面白いものは何回でも読みたい、という欲求は年々強くなってきている。その面白い物の筆頭が「幕末動乱の時代」だ。そこの時代に今の東北地方の置かれた現状、秋田県の疲弊や生まれ故郷の原風景の一切の「起源」が隠されている。自分が暮らし、仕事をし、見聞きしている文化や自然やものの考え方の多くは、実は日本の歴史を180度転換させた「明治維新」というあの日を軸に展開された、長い今に続く物語であることに、ある日突然目覚めた、のだ。それにしても吉村昭の歴史ものは司馬遼太郎とは正反対に位置する硬派な文献実証主義、読みなれるまでが一苦労だ。とにかく調べ上げた事実(らしきもの)を淡々と羅列していく。その読みにくさが好きになったのは、自惚れかもしれないが、こちらに少し歴史知識の基礎的素養ができたからかも、と思っている。

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