Vol.455 09年6月6日 週刊あんばい一本勝負 No.450


「つぐじ」か「つぐはる」か?

 秋田県が、藤田嗣治の作品が多数展示されている平野政吉美術館の移転問題で揺れている。財団法人であり、県の権限がおおきな美術館なのだが、もともとの絵の所有者であった平野家側と県の見解の違いが、その確執が根っこにあるようだ。そのへんの事情に詳しくないし、特段の興味が移転問題にあるわけではないが、これをきっかけに、ぜひ、県や美術館側に、統一した「結論」を出してほしいことがある。
 所蔵作品を描いた画家の藤田嗣治の名前の読み方である。これは世界的にも国内メディア間でもすでに結論が出ている。藤田の名前は「つぐはる」と読むのが正しく、画集のネームも海外での表記も自伝も出版物も、すべて「つぐはる」と表記されている。
 ところが、秋田県だけはメディアも県民も「つくじ」と呼び習わしているのだ。秋田ではこの世界的高名な画家の名前はあくまで「ふじたつぐじ」なのである。
 これって、どうでもいいことのように見えるが、実にヘン、ではないか。
 私自身、サンパウロの画廊で藤田の作品を見かけ、「ツグジ・フジタは秋田でも有名だ」といったら、その画廊主に「この人はツガール・フジタで、ツグジと言う人ではない」と笑われたことがある。TUGUHARUの「H」をポルトガル語では発音しないので、ツガールになるのだ。
 ではなぜ秋田では間違った名前が当たり前のように流通し続けてきたのか。
 答えは簡単で、当の平野美術館正面入口に、ご丁寧に「藤田は絵のネームに〈嗣二〉と書いたことがあるので〈つぐじ〉だ」と、その理由を表記しているのだ。藤田が〈嗣二〉とネームを何枚書いたのか、他の絵にもそのように書いてあるのか、説明はない。もしかしてたった一度の表記をもとに、そのように断定しているのでは、と疑いたくなる。うがった見方をすれば、平野美術館への悪意から、藤田がわざと間違ったネームを書いた、ということだってありうるわけだ。というのも藤田と平野政吉は、この美術館構想を巡って決定的に決裂、藤田美術館のはずが平野美術館になるに及んで以後、両者は音信不通、犬猿の仲になってしまうのだ。
 この辺の詳しいことはNHKのディレクターで藤田の番組を作り、その後、『藤田嗣治――「異邦人」の生涯』(講談社)を書いた近藤史人の説が最も説得力がある。この本は第34回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。もちろんこの題名のフランス訳も「TSUGUHARU」とはっきり表記されている。
(あ)

No.450

世界遺産の町クスコで暮らす
(千早書房)
すずきともこ

 以前にクスコとマチュピチュを3泊4日で訪ねたことがあった。一人旅で、確かブラジルに行く途中だった。リマにある天野博物館に用事があり、なんとなく仕事気分の強い旅だったのを覚えている。ペルーでは博物館もマチュピチュもガイドがすべて英語とスペイン語の2言語しか選択できない。だから細部まで理解するのは難しい。もう少しインカ帝国について事前に勉強しておけばよかったなあ、と思った。今度はちゃんと事前に勉強してから、もう一度行く機会を狙っている。衛星放送などでインカ帝国の番組が流れるとよく観ているのだが、必ずと言っていいほど、このひらがなの著者名がエンドクレジットに登場する。NHKの「地球エコ紀行」というでは、ツアーガイドとして著者本人が出演していた。初めてクスコの町を訪ねたとき、高所障害で食欲がなく、ずっと気分が悪かった。町に日本人ガイドがいると言うので頼むと、山形出身の若い女性だった。商売っけを起こして必死に「クスコに関するガイドエッセーのようなものを書いてみないか」と口説いたことを思い出す。彼女はあの頃、確か30代で同じ日本人ガイドの男性と結婚していた。その新居に招待されたのだが、部屋の暗さと狭さ、乱雑さと汚さに正直驚いてしまった。アマゾンで暮らす人々や北朝鮮の若者、フィリッピンの貧民窟など、いろんな場所の人や暮らしをみてきたが、アンデスの貧しさは筋金入りだ。でも本書を読むと、若いころの自分の見えなかったアンデスの豊かさが、彼女の暮らしを通じてジンワリとこちらに伝わってくる。

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