Vol.477 09年11月7日 週刊あんばい一本勝負 No.472


Fさんの思い出

印刷所の担当者だったFさんが亡くなった。享年76。印刷所を副社長で退職し、その後も関連子会社などの社長を務め、つい最近まで現役で活躍していた。Fさんとはかれこれ35年のお付き合いがあった。直接の営業担当者は別だったが、その上司として重要な局面にはかならずFさんが登場した。「重要な局面」というのは言わずもがな、「支払い」のことである。作りたい本を作りたいだけ作り、けっきょく本は売れず、印刷所への莫大な借金だけが残る……そんな繰り返しだった20年ほど前、印刷所への借金はいっとき3千万をこえた。そんなになるまでよく待ってくれたものだが、印刷所そのものも急成長している時期で、その程度の金額はどうってことがなかったのかも知れない。今ならとっくに訴訟沙汰である。

そんな鷹揚な印刷所だったが、やはり3千万円の残債となると社内会議でも大問題になったのだろう。Fさんから連絡があり、山形の有名な山菜料理店に「招待」されたことがあった。借金の取り立てに有名料理店という舞台設定も奇異な感じだが、Fさんの営業手法はいつもこうだった。嫌な話し合いの時ほど笑顔を絶やさず、和やかに、時間をかけて、ゆっくりとアプローチしてくるのだ。おいしくて楽しい食事会が終ると、突然Fさんは居住まいを正し、なんと畳に頭をこすりつけ、「手形を切ってください」と涙ながらに平身低頭してきた。まるで警察が犯罪者にペコペコ敬意を払っているあんばいで、これは初めての経験だった。そうか、なかなかカネを払わない人間を懐柔するには、こんな逆督促の方法があったのか。営業のプロってこういうことなのか。

Fさんは営業畑一筋の人なのに、たばこも酒もまったく受け付けなかった。そのため夜の接待とは無縁だったが、秋田に来るたびにお土産に「山形の蕎麦」を持ってきてくれた。小生の蕎麦好きはこの「山形の蕎麦」に原点がある。
ただしFさんのお土産の蕎麦は、そんじょそこらの蕎麦ではなかった。なんとあの有名な村山の「あらきそば」なのである。もちろんテイクアウトなど出来るはずもない。むりやり店側に頼んで持ってきてくれていたのである。もちろん実際の店にも何度も連れて行ってもらった。「あらき」をはじめ山形の蕎麦屋の名店はほとんどFさんに連れて行ってもらったものだ。

長い付き合いだったが、もう2人で蕎麦屋に行くことができなくなったわけだ。ご冥福をお祈りしたい。
(あ)

No.472

フリーター、家を買う。
(幻冬舎)
有川浩

 「阪急電車」ですっかりこの女流作家を好きになり、はまってしまった。とはいいながら代表作である「図書館戦争」は読んでいない。自分でも作家の「好き嫌い」の意味がよくわからないのだが、読む小説を選ぶ基準は「テーマ」第一である。自分の中では、そこがかなり大きな位置を占めている。具体的に言うと、家族や若者の生き方がテーマなら食指が動くが、図書館や恋愛になるとほとんど興味がわかない。困ったものだが、趣味の問題なのでどうしようもない。本書の主人公は二流大学卒でフリーターの若者、この設定ならOKだ。典型的な家族崩壊小説なのだが、暗くなさそうなのがいい。暗い小説というのもアウトだ。本書では父親のキャラクターが際立っている。重要な脇役を果たしている、といっていい。重度のうつ病にかかった母親にたいして、この父親がとるダメ対応が、結果としてダメ息子である主人公の生き方を劇的に変えていく。このへんのいかにもありそうな家族関係のディテールが小説のだいご味だ。「小説家ってすごいなあ」と思わせる想像力満載なのだが、このダメ父親を見ていると「おれも似たものかもしれない」とおもわせるインパクトがあり。この作家が好きなのは何はともあれ細部の徹底的なリアリティだ。

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