Vol.483 09年12月19日 週刊あんばい一本勝負 No.478


発行部数のホラ話

先日、県内のある山の写真を出したい、という企画の売り込みがあった。自費出版ではなく企画出版である。類似企画が多く小舎でも同じような本を何冊か出している。だから「企画出版は無理」と返事した。が、敵もさるもの、「自分の本は確実に2万部売れる」とゆずらない。いやいや、2千部も売れれば御の字です、そんなに売れるのなら講談社も山渓も黙っちゃいません。編集者が飛んできて「うちで出してください」とお願いに来ますよ、とたしなめたが、引き下がらない。2万部には根拠がある。以前、同じような山の写真集を出したことのある町の観光協会の本が4万5千部売れた実績から割り出したものだ、という。その数は誰に確認したのですかと訊くと、観光協会の責任者から聞いたという。その本は現在2刷で、いま改訂版刊行を予定しているのだそうだ。わずか2刷目で4万5千部も売れた本、と言うのは出版業界にいる人間ならありえない、というのはすぐわかる。調べてみると件の本、思ったよりよく売れて初版の2千部を完売、すぐに2,3千だろうが増刷になっていた。だから4,5千部は売れたのだろう。それがいつのまにか10倍くらい数を水増しされ、流通してしまったのである。このホラ話を、この御仁は真に受けてしまった、というわけだ。彼自身、被害者なのである。とはいうものの実はこの手の「妄想」で本を作りたがる人はあとを絶たない。

もう10数年前、私自身も似たような経験をしている。
1976年、私自身が書いた「中島のてっちゃ」という本は売れて秋田では異例のベストセラーになった。その事実に間違いはないが、「ベストセラー」といっても3刷1万部弱、あくまで秋田地方限定のベストセラーである。その本が出てから数年後、本の主人公である中島のてっちゃこと工藤鉄治さんが亡くなった。その葬儀の席上、村の有力者が「君の本を書いて20万部も売り、大儲けした悪辣非道な男――」と私の個人攻撃の弔辞を読みはじめた。ご遺族に促されて最前列に座っていた私は驚くよりも悔しいやら悲しいやらで、居たたまれず、すぐに帰ってきた。村ではいつのまにか1万部が20万部に「作り換えられ」、話が出来上がっていたのである。
前記の山の写真集の御仁にモーレツに腹が立ったのは、実はこうした個人的な「部数ホラ伝説」に関わる苦い思い出のせいかもしれない。
(あ)

No.478

ダブル・ファンタジー
(文藝春秋)
村山由佳

 この著者の本を読むのは初めて。鴨川周辺に住み、エコロジーな暮らしをする美人作家、くらいの認識しかなかったのだが、いきなり「史上最強の官能小説を書いた」というのだから驚く。いやエコロジストを悪く言うつもりはないし、その生き方には共鳴できる。が、小説家というのはまた別の「生き物」。「正しい生き方」と釣り合わないジャンルの職業、といっていいのかもしれない。清く正しい美人作家が、一夜にしていわば正反対の、官能とエロスの小説家として大化けしたのである。それまでの自然に囲まれた健康的な暮らしから、悦楽と官能の世界にどっぷりとはまりこんだのだ。全体を読みとおして、その大胆な性描写に驚くが、文学的にかつ丁寧に記述されているので「わいせつ感」はほとんど、ない。ショッキングなのは、尊敬する男である演出家の志澤なる人物。何人もの寝た男たちの中でも、この男だけは主人公にとってトラウマのように物語の陰影をかたどる重要人物だ。この志澤、誰がどう読んでも「蜷川幸雄」そのもの。このイメージの相似は意識的なものか、それとも現実? それは著者本人のみぞ知る。もし、これが読者を幻惑するためのフィクショナルな仕掛けだとすれば、すごいとしか言いようがない。

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