Vol.489 10年2月20日 週刊あんばい一本勝負 No.483


ここちよい忙しさの中で仕事をしています

春の愛読者DM(ダイレクトメール)の仕事がようやく一段落ついた。ホッとしている。年4回の通信だが、すっかりもう無明舎の大切な定例の仕事になってしまった。この年4回の「リズム」が、1年間の仕事の大きなアクセントになっているといっても過言ではない。新刊のチラシを数点つくり、文章の通信を書く。そこまでが私の仕事だ。それをデザイナーに渡し、チェックして印刷所に外注する。送信事務は他の人たちがやってくれるから、正味1週間が私の持ち時間で、仕事は完了する。終わるとヘトヘトになってしまうのだが心地よい疲れでもある。去年の暮れに出した冬DMは「新刊ゼロ」という、通信を出して初めてともいえる「不作」で落ち込んだ。が今回の春号は8点もの新刊があり、このばらつきは問題だが、新刊が多い号は自然と張り切ってしまう。

それにしても、まだ1週間にもなっていないのだが、日曜日に登った森吉山は素晴らしかった。まだその余韻をひきづってる。快晴に恵まれ、素晴らしい山行だった。めったにあんなにきれいな冬山を見ることもできないだろう。山をバックに撮ってもらった写真をさっそくデスクトップ画像に使っている。森吉山は樹氷が名物で、それにさらに青空がプラスされ、その景色のなかを縫うように、自在にスノーシューで歩きまわる快感はいわく言い難いものがある。

そんなわけで毎日、デスクトップ画面で零下10度の雪山の美しさにうっとりしているのだが、よくよく考えるとほんの10日ほど前まで私は気温40度近いブラジルの大地を走り回っていた。サンパウロの夕方の豪雨に驚いたり、アマゾンのムクインという小さな蚊に食われて痒さに閉口したりしていたのだ。それがあの雪山の、50度の温度差のある世界で、なんだか一挙にブラジルは遠い日の思い出のように感じられるようになった。ちょっぴり複雑な心境である。

それと今年は例年になく年明け早々から忙しい。舎内にもあわただしい空気とピリピリした緊張感が満ちている。みんなそれぞれ多くの仕事を抱えて、忙しいのだ。その忙しさは先の見えない重苦しさを伴ったものではなく、逆にようやく先の明かりが見えだした、光を伴ったものだ。少しでも長くこの忙しさ(緊張)が続いてくれれば、と祈っている今日この頃。
(あ)

No.483

ウィーン家族
(角川書店)
中島義道

昔読んだ「うるさい日本の私」は衝撃的だった。そうか、ここまで言って構わないんだ、という下世話な納得の仕方だったが、著者の変人ぶりも強く印象付けられた。その後も、嫌いな有名人たちを実名で批判する本を出したり、かなり癖のある哲学者としてベストセラー作家になった。売れっ子になり、立て続けに本を書くようになってからはご無沙汰なのだが、初期の数冊の本を読んでもエピソードとしてたびたび登場する「家族」や別荘のある「ウィーン」のことを、もっと詳しく知りたい、と本題とは無関係のことなのに興味惹かれた。それが本書で現実になった。小説であることを力説はしているが、これまでの著作の内容と照らし合わせれば多くは事実に基づいているのは明らかだ。自己愛の塊で、絶望的なまでに他人を愛せない大学教授の康司、女の弱さと息子を武器に、夫を執拗に責め立てる妻多喜子、父親を「あいつ」と呼び徹底的に母側に立ち、父を軽蔑する息子。その家族がウィーンで繰り広げる壮絶な家族の物語である。小説としての完成度はよくわからない。がノンフィクションとして読めば無類に面白く、その愛と依存の物語にどっぷりとはまってしまう。いやはや凄い本だなあ。

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