Vol.500 10年5月8日 週刊あんばい一本勝負 No.494


久しぶりの「つながり現象」

昔はよく岩手県の人の本を出すと、あいついで岩手関係者の出版依頼が続いたり、医学書を出すと、似たような医療企画が持ち込まれたり、といったことがよくあった。こんな偶然ばかりとは言えない「つながり現象(私の造語)」がよくあったのだが、最近、めったにそういうことがなくなった。これは出す本の数そのものが少なくなった、のが理由なのかもしれない。

ところが先週、その「つながり現象」が久しぶりに復活。最初はテレビだった。仕事場のテレビを付けたらNHKのドキュメンタリー・アーカイブ特集で、この10数年間で継続しながら同じテーマで3度も番組をつくったという、モンゴルのマンホールで暮らすホームレスの子供たちの物語だった。10歳前後の子どもたちのマンホール生活は迫力があった。その彼らの暮らしのその後を定点観測したものを一挙放映した。まったく見ていなかった番組だったので、引き込まれ全編を観てしまった。小さいころボスと子分の関係だった男の子2名の関係が、大人になると見事に逆転していたのには驚いた。

いいドキュメンタリーを観て、ちょっぴり得した気分だった。その日の夜はレンタルビデオ屋で借りていた数本のビデオ映画のうちの1本を観た。インド映画でアカデミー賞はじめ数々の映画賞を総なめした『スラムドッグ・ミリオネラ』。これを選んだのはまったくの偶然だった。テレビのクイズ番組で全問解答したスラム出身のインド青年の恋物語である。モンゴルのマンホール・チルドレンとほぼ同じ環境のスラム街が舞台である。慈善家を装いホームレスの子供を集め、一人前の物乞いに「養育」して金を稼ぐ商売人が、熱した油で目を焼いて子どもを盲人にするシーンは吐きそうになったほど。悲惨でやりきれなくなる映画だが、それでもラストはいつものインド映画の定石通り、善人も悪人も役者たちは仲良く停車場で踊りまくるのである。いやはや。

ま、ここまでなら充分にありうる「偶然」の連続といっていい。問題はこの2日後の夜である。たまたま寝床で読む本がなくなり、あわてて本棚から読んでいない小説本を探し出し、読み出した。書名の奇抜さが気に入って買っておいた盛田隆二『散る。アウト』(毎日新聞社)。この本は、会社の倒産でホームレスになった主人公が、偽装結婚のためモンゴルに飛ばされ、そこでモンゴルのホームレス経験のある女性と恋をする話なのである。うひゃ〜っ、ここまでモンゴルやホームレスやマンホール・チルドレンが続くと、これはちょっと考えてしまう。ふだんならマンホール・チルドレンやアジアを舞台にした物語やホームレスといった設定にはほとんど心動かされることがない。偶然は恐ろしい。
(あ)

No.494

下り坂社会を生きる
(宝島社新書)
島田裕巳×小幡績

自分の息子がまさに20代まっただなかで、この不況のド真ん中を生きている。そのせいもあって、私たちがつくりあげてきたいまの社会が、いったいどうなっているのか、同情と責任の入り混じった複雑な心境で興味を持っている。社会の隅っこから、自分では分析も理解もできない世の中の動静を静かに見守っている、と言ったほうがいいのかもしれない。書店行くと、不況論や若者論、現代社会と新ビジネス、といった刺激的な書名の新書判に目が吸い寄せられる。本書もそんな思いから手にとった。マスコミ御用達だったのにオウム真理教発言で失脚(?)、最近見事に復活を遂げた島田の事は知っていたが、小幡という人のことはまったく知らなかった。本の帯の著者紹介に「1992年東京大学経済学部首席卒業」と書いてある。わぁあぁ、この場合、「首席」がどうしても必要なのか、キミ。それはともかく最近顕著だという若者の脱都会志向について、島田は「地方だと土地も安ければ、家も安い。そんなに給料は高くはないかもしれないけど、安定してるし、身近に知り合いが沢山いて、結婚することもできれば、子どもを作って教育もできる。わざわざ都会に出てきて、新しい人間関係を作る必要がない」からだという。それにしても若い小幡さん、自信満々で世相を斬りまくり、断言のオンパレード。この意気軒昂さ、ちょっと怖いね。

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