Vol.509 10年7月10日 週刊あんばい一本勝負 No.503


料理と本と独り暮らし

カミさんが1週間旅行に出たため、毎日三度の食事は自分で作って食べた。なかに山行が一回入ったが、あとはひたすら家から一歩も出ず仕事、飯、仕事、買い物、仕事、読書、就眠……という単調な繰り返しの日々。
最初の日、炊飯器で五号の飯を炊き小分け冷凍、大量の野菜を切り刻み、野菜だけで満腹になるほどサラダも作り置き。そのせいで日常的な問題は何もなかったのだが、この機会とばかりに外に酒を飲みに出かける、という気持がみじんも起きなかった。これは進歩なのか老化なのか。微妙なところ。

就眠前はもっぱら読書。ネットのレンタルで四本ほど暇つぶし用映画DVDを借りていたのだが(古いフランス映画)、なぜか観る気が起きなかった。というのも、手元にあった本のどれもがおもしろくて、読書を止められなかったため。この一週間で五冊ほど本を読んだ。新聞や雑誌の書評で「これは面白そう」とネットで注文すれば二日後には、この秋田まで本が届いている。昔なら考えられない快適な読書環境の手軽さが、本と読書の間の距離をずいぶん縮めてくれたせいもあるのかな。

読んだ本でおもしろかったのは『生きていてもいいかしら日記』(毎日新聞社)。北大路公子なる昼酒好きな40代独身女性の「酔っぱらいエッセー」である。彼女は札幌在住で地元の出版社から2冊のエッセイ集を出している。それも読んでいて「へんな人だなあ」と感心していたのだが、この本はいわば彼女のメジャーデビュー。やっぱりへんで、面白いエッセイ集でした。
黒井千次『老いのかたち』(中公新書)はよく練られた美しい文章で、身辺雑記エッセイとして心にしみこむ言葉がちりばめられている。年齢相応に老いていくことへの困難な時代、若さや体力ばかりが尊重され、年にふさわしい生のかたちが見失われていく現実に、鋭く警鐘を鳴らす。川本三郎『いまも、君を想う』(新潮社)は、50代後半で亡くなった7歳年下の妻への追悼記。身内を誉めたたえ赤裸々に愛を語るのは、いかにプロの物書きと言え「綱渡り」に等しい危険な行為。なのに、まるで澄んだスープのように濁りのない、きれいな本になっている。まだ読みかけだが多田富雄『落葉隻語 ことばのかたみ』(青土社)も、同じように嫌みのない澄んだスープのような本。毎晩ベッドにはいってから少しずつ読んでいる。

というわけで、やっぱり読書っていいなあ、という1週間でした。本を読める幸せを味わうことのできた黄金の日々でした。お粗末。
(あ)

No.503

小さなおうち
(文藝春秋)
中島京子
それにしてもこの作家には、いつも驚かされる。イザベラ・バードとその通訳であるイトウの恋を描いた「イトウの恋」は、バードの生涯に興味がなければ成立しない物語だろう、とツッコミたかったが、読むとちゃんとした恋愛小説になっていた。いやはや、とても40代の女性の仕事とは思えない。渋くてオシャレ、テーマの選択が新鮮だ。この著者の読書遍歴を知りたくなる。
本書も同じような驚きで読みとおした。舞台は昭和初期の東京、お金持ちの一軒家、そこに住み込んで働く女中さんが主人公である。著者には女中さんに関する他の著作もあるから「女中小説」というジャンルを勝手に作り出しても問題はないだろう。この作家の本がおもしろいのは、いるも物語が「ある手記」が存在し、それを探したり、盗み読みしたり、想像したりしながら物語が進行するところ。本書もその例外にもれず女中さんの書いた回想録をもとに物語は展開する。そして最終章にはいろんなどんでん返しや意外な結末が待っているのだが、こちらはその最終章がなくても昭和モダンの世界に浸りきることができる。昭和初期の物語が現代に鮮やかによみがえる「仕組み」が用意されている。

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