Vol.515 10年8月28日 週刊あんばい一本勝負 No.509


何も起きない日々

お盆前後から人と会う回数が増えている。来客が多いし、打ち合わせもある。ずっと誰とも会わず、事務所の2階で2,3週間過ごすことも珍しくない身には、なんだか緊張を強いられるような、毎日が特別日のような、ちょっとへんな気分だ。もしかすると、これからはこうした日常が「常態化」するのかも。仕事の仕方というかコミュニケーションの在り方が、どうやらこれまでとは微妙に違ってきているのを実感している。

わかりやすく仕事の仕方で考えてみると、以前なら「このぐらいで、ま、いいだろう」と勝手に納得、ケリをつけていた仕事を最近は、「面倒だけど、やれるところまで粘ってみよう」といった心境から、妙にしつこく粘るようになった。これから先、そう多くの本をつくれるわけではない。あまり後悔しないものをつくろう、あとあとの人たちに笑われたくない、といった殊勝な心持になっている。

仕事以外の、個人的な衣食住にも、ある種の傾向がくっきりと表れている。例えば時計。もう何十年も使っているものばかりだが、新しいものを買う気にならない。いくらお金がかかっても修理して同じものを使いたい。こうした欲求が年々強くなっている。服も同じ。気にいったものは徹底的にシミ抜きやクリーニングで再生させ、ヨレヨレでも捨てない。暮らしの中に何かを新しく加える、という発想は薄く、どうしようもないもんはすぐ捨てるが、めったに補充はしない。ないままのほうが豊かな気分になる。凝った料理や、特別のレシピ、稀少な酒、なんてものにもまったく食指が動かない。

1冊1冊の本を丁寧に、自分なりに納得のいくものにしたい。いまあるものは何度も使いまわしたい。身の丈に合った、なじんだものが、愛おしい。新しいものに置き換えたり補充はしたくない。どうにもならなくなったら、そく捨てる。できるだけ昨日と違わない今日を送りたい。非日常より日常のほうが大切だ。寸分たがわぬ繰り返しの日々のなかに、神経を研ぎ澄まして新鮮な喜びや感動を見つけ出したい……。

ま、ただ単に年をとった、ということなんでしょうけどね。
(あ)

No.509

いまも、君を想う
(新潮社)
川本三郎
この著者の本はほとんど読んだことがない。自分の読みたい本の領域からはテーマが微妙にズレているからだ。好きとかきらいといった問題ではない。作家としての仕事のスタイルには好感を持っている。とはいっても作品を読んでいないのだから、おこがましいか。本書はテーマ的にはストライク。とにかく作家の日常や下世話な話には、こちとらすぐに飛びついてしまう。日記や身辺雑記エッセイにめっぽう弱いのだ。自分の7歳下の亡くなった妻への鎮魂歌である。そうか、こんな人と結婚していたのか、と本を読んで納得。出会いが学園紛争さなかの美大のキャンパスで、取材者(朝日ジャーナル)と被取材者(学生)だったというのも、同じ年代である小生にはよくわかる。そんなケースが身近にもあったから。が、それにしても物書きとしては名前を確立した著者が、そのプロの土俵で極めて私的な配偶者讃歌、というのは、かなりの葛藤があったのではないだろうか。作品ではなく妻への鎮魂歌なのである。そんな危惧もあったのだが、さすがプロ。お涙ちょうだい物語にせず、きりりと引き締まった文体で、亡き妻へオマージュをささげている。嫌みやくどさを感じさせない力量は本物だ。

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