Vol.512 10年7月31日 週刊あんばい一本勝負 No.506


電子出版は文庫本?

いろんなところで「電子書籍の未来」について尋ねられる。
「紙の出版なんて、いつまで続けるつもりなの?」という揶揄を含んだ物言いをする方もいるし、将来の身の振り方を真剣に悩み、電子書籍におびえる印刷関係者もいる。
当方、実はあまり深刻に考えていない。無明舎出版が未来永劫存続するべき会社だと思っていないからだ。できれば当方一代で静かに消えていければ、と考えているので、長い時間のものさしで自分の仕事の「未来と可能性」を考えていないのだ。そんな諦観のせいもあるが、いかにデジタル情報通信が私たちの仕事や暮らしに革命をもたらしてくれたところで、「それって、しょせん容れ物の話でしょ」という冷めた部分がいつも後頭部に張り付いている。

たぶん、ipadもそうだが、将来的には買い求めるだろう。そのデバイスで本を読むことに何の抵抗もない。いや、むしろ積極的に面白がるほうだ。でも、そのデバイスで読む本はあくまでエンターテイメントなジャンルだったり、市場に大量に出回っているベストセラーの類の本になるのは、まちがいないだろう。入手が困難な昔の本や小部数しか販売されなかった資料本の類まで電子書籍で読む、という気にはなかなかならないのも事実だ。

「無明舎では電子本は出さないのですか?」とよく訊かれ。いまのところ、電子本を出すということは、ない。でも明日にはその可能性もある。
たとえば紙の本がそこそこ売れたとする。具体的に言えば1500円の単行本が1万部や2万部売れたとする。時間がたち、その売れ行きが落ち出したら、今度は定価を300円ぐらいに設定、電子版で再出版する。これは明日にでもありうることだ。大手出版社がそこそこ売れた単行本を出版権が切れたあたりを狙って文庫本にする、というのと同じ方法論である。
こうした形の電子版なら無明舎でも可能性はある。が、いかんせん前提となる1,2万部のベストセラーが出せないのだから、電子版も論外だ。
つまるところ電子書籍とは「文庫本」のことなのだ。文庫本は大手出版社の特権である。地方零細出版とは、はなっから無縁のもの、なのである。
(あ)

No.506

巡礼コメディ旅日記
(猪股和夫訳・みすず書房)
ハーペイ・カーケリング
この本は微妙だなあ。「歩く」本はどんなものでも大好きなのだが、そんなことより著者の素性がよくわからない。本文ではほとんど言及されていないのには理由があって、著者はドイツでは知らない人とていない人気コメディアンなのだ。だから自分自身を説明する必要がない。知っているのが当然、さらにドイツ本国で300万部も売れた大ベストセラーなのである。でも、それをそのまま日本で翻訳して、さあどうだ、って言われてもなア。極東のさらに僻地に住む田舎者には、さっぱり著者の素性がわからないのだから困ってしまう。 敬虔なクリスチャンで、30代のひとり者(ゲイのようだ)がイタリアからスペインのサンチャゴまで巡礼の道800キロを歩いた記録である。つまらなくはないが、そんなに面白いわけでもない、と言うのが正直な感想。それにしても腑に落ちない。なぜドイツではこれがベストセラーなの。訳者のあとがきに、「翻訳の底本としたのは、単行本をもとに、ハーベイさん自身が吹き込みを行ったCD版(六枚)です」とある。あれっ、これって、もしかして「語り」を活字にうつしかえただけ。昔、猿岩石と言う一発屋の芸人の旅日記がベストセラーになったことがあった。あれと比べるのは酷かもしれないけど、似たようなものなのかも。

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