Vol.536 11年2月19日 週刊あんばい一本勝負 No.530


津波のようにいろんなことが押し寄せて

新しい年がやってきたなどと浮かれているうちに、いつの間にか2月も終盤に。いつもより3,4日短いだけの月なのに2月が過ぎ去るのは本当に早い。いつも不思議に思うほどだ。

2月が終わると当たり前だが3月。この3月というやつが日本では大きな1年の区切りになる。国の仕組みがそうなっているからだ。お役所とは無縁の人生なのでピンとこなかったのだが、仕事を窓口にして、世間では「3月」が特別な区切りの月である、ことをたびたび認識させられてきた。いや認識しただけでなく、この国の大きな流れの「区切り」にうちのような「はじかれもの」までが組み込まれるようになってしまった、と言ったほうが正確かもしれない。

これまでは私どもも例外ではなく、他の商売同様1,2月は「ヒマ」というのが通り相場だった。が、ここ数年、あきらかに変わってきた。年間を通した傾向をみてみると、1年を通して最も忙しいのがこの時期、というふうに変わってきているのだ。なぜなのかはよく分からない。うちだけの特殊な事情なのだろうか。

気持ちも新たにする新年と同時に、忙しさも伴ってやってくるというのは悪いことではない。今年は特に去年の暮れから新刊がこみ合い、手元には10数本の新刊予定原稿やゲラが雪の壁のように立ち塞がり、行く手を阻んでいる。嫌な障害物ではないから、やる気も増そうというものだ。

その一方で、仕事先の印刷所や書店がどんどん消えつつある。抗いがたい大きな時代の流れだとわかってはいるのだが心境はいささか複雑である。
とくに40年近い付き合いの印刷所が2月初旬に倒産したのは、いろんな意味でショックだった。数年前から危ないとわかっていたのだが、さまざまな圧力や影響を考慮ギリギリまで倒産の事実は隠されていた。事実を隠ぺいして平然としていた経営陣の厚顔や銀行やその周辺の不可解な行動。社長などというのは単なる飾りもの、その上で経営を差配する者たちの傲慢な判断ひとつで、何百人もの働く人たちの人生が左右される。資本主義の冷徹さを目の当たりにした印象が強い。

こうしていろんなことが津波のように押し寄せて、新年度ですべてがリセットされる。その新年度がもう1ヶ月ちょっとでやってくる。
(あ)

No.531

移行期的混乱
(筑摩書房)
平川克美

こんな難しい書名の本、だいじょうぶかジブン、という気分で読み始めたのだが、おもしろかった。おもしろいというより自分のぼんやりと思っていた考えがしっかりと論理的に明文化されている。これは読者にとって爽快だ。本書の論旨は明快だ。リーマンショックでいわれた「100年に一度の危機」説を「冗談ではない」と本書は否定することからはじまる。書名になった「移行期」とは、有史以来数千年単位の「転換点」である、というのが本書の前提なのである。少なくとも100年を最低単位として時代を読み解く力がなければ現時代の混迷は理解できない、というのだ。「経済成長の限界」というのは政治の世界でいう政局ではなく、有史以来の経済活動の数千年来の構造変動である、という視点なのである。「経済成長」というのが一種の「一過的病」であり、これからは確実に「右肩下がりの時代」へと突入していく。「都会の限界集落」とか「人口減少だけが人口減少を食い止める」、「民主化(俗化)の進展によって社会的な差異は無化していく」といった刺激的な言葉が続き、著者は結論として「歴史を駆動している見えない必然の歯車を探り出すことができるかどうか」が私たちに要請されている知的課題だ、と言いきる。

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