Vol.534 11年1月29日 週刊あんばい一本勝負 No.528


靴磨きと芥川賞作家

東京での用事を済ませ文京区春日のホテルから歩いて東京駅へ。丸の内の丸善前に靴磨き屋が出ていた。ちょっと異様な感じだったのは靴磨きが20代の身なりのいい男女だったこと。さらに代金が100円と大書きしてある。「これは何か事情があるな」と思い、ムクムクと持ち前の好奇心が。女性を指名し磨いてもらうことにした。
こちらから事情を聴く前に、その若い女性は自分が靴磨きをやっている事情を雄弁に語りはじめた。
この2人、実は北海道・釧路にある自動車ディーラー会社の社員だった。社長発案で、新人研修の一環として靴磨き出張を命じられたのだという。東京の路上で1泊2日の靴磨きをし、その売り上げで飲食を賄う。
私は2人目の客で、靴磨きの技術はともかく、彼女の話は面白かった。おもしろかったが、こんなことを考える社長というのは個人的に嫌い、というかお里が知れる、という感じだ。急成長した新興企業が、よく朝の朝礼でしごきに似た挨拶をさせたり、路上で体罰まがいの特訓をするのに似ている。こういう会社は押し並べて長続きしない。貧相な未来が透けて見えてくる。
それでも女の子は、楽しそうにおしゃべりしながら一生懸命仕事をしていた。100円を渡すと、やおらバックをまさぐりだし「お釣りがない」とあわてだした。目の前のドーナツ屋にかけ込んで工面してきたが、こういう初歩的想像力のなさのほうがビジネスマインドとして問題ではないの?

帰りの新幹線で話題の芥川賞、西村賢太著『苦役列車』(新潮社)を読んだ。ふだんは話題の新刊を読むということはないし、ましてや今が旬の芥川賞なんて、まあ絶対といっていいくらい手にはとらない。前日、息子と食事をしていたら、彼が「あの男、ちょっと面白そうだね」と言い出したので、その言葉に引きずられて駅中書店で買ってしまったのだ。おもしろくなければ息子に送ってやればいい。中身は若い港湾労働者の友情と孤独を描いた陰々滅滅としたものだが、文章はなぜかスラスラと読める、ふしぎな軽さがある。
この本には表題作のほかに「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」という併収作がある。こっちはナントまたしても「腰痛」小説だ。腰痛をこらえながら山に登り、東京出張をしている我が身に照らして読むと、この切実感がよく理解できた。それにしても、いつまで腰痛本は自分につきまとうつもりなのか。
(あ)

No.528

電子本をバカにするなかれ
(国書刊行会)
津野海太郎

2010年の後半、2冊の画期的な本が出版された。萩野正昭『電子書籍奮闘記』と本書である。津野さんと萩野さんは電子書籍に関しては同志といっていい関係である。本書の中にも1章を割いて「本の原液」という二人の対談が収録されている。ここ最近、電子本に関する書籍が花盛りだが、いずれも「時代に乗り遅れるな」「新聞やテレビの凋落」を声高に叫ぶ、いわばオオカミ少年本的なものが多い。ウンウンとうなずきながらも、どことなくうさんくささも払しょくできない。この人たちはたとえば10年前、電子本について真剣に考えてた「時期」があったのだろうか。時代の潮流にうまく乗っかっただけなのではない、という疑惑が消えないのだ。前述のお二人は電子本への言及や体験の関わり方のレベルが違う。萩野さんが電子本の会社を立ち上げ悪戦苦闘の海にこぎ出したのは1992年、約20年も前だ。この時にアメリカの親会社とつくったエキスパンドブックを、同じ90年代初頭に小生は津野海太郎さんに見せていただいたことがある。20年も前、この2人は同志的結合の中で電子書籍の未来を予測し、紙の本との融合を予測し、私のようなものにまで、本のデジタル未来について熱く語っていたのである。電子書籍の関わりあいに昨今の評論家たちとは雲泥の差があるのである。「画期的」といったのはそんな意味である。真打ち登場といってもいい。

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