Vol.53911年3月12日 | 週刊あんばい一本勝負 No.533 |
私たちは大丈夫、何の問題もありません。 | |
いろんな方から自身のお見舞いをいただき感謝しています。 秋田の被害は太平洋側の被災地に比べれば「軽微」です。私の周辺では、ほとんど被害はありません。「東北(関東)大震災」という名前が世界中を駆け巡っているせいか外国とくに友人の多いブラジルから沢山のお見舞いメールをいただきました。外国の方々から見ると「東北大震災」ですから、その一部である秋田にも大きな被害にあったのでは、と考えるのも当然です。 が、いまのところ秋田の被害は軽微です。ご心配なく。 11日昼過ぎ、いつものように昼食がてら外に出ました。駅まで歩いて昼をとり、また歩いて帰ってくる途中、大きな揺れにであいました。ゆっくりと目の前の世界が右左に揺れていました。走行中の車は停まり、家から飛び出してきた人たちは固まって茫然と突っ立っていました。地面だけが大きくゆれ動いて、それ以外の人間や車は停まったまま。映画をみているようでした。 これは経験のしたことのない大地震だ、と直感し、ほぼ道路の真ん中を走るように事務所に向かって歩きました。身体が左右に揺れて、うまく走れませんでした。 停電はまる1日半、続きました。情報が途絶えてしまったのは予想外の出来事でしたが、水もガスも供給されていたので夜はカンテラやヘッドランプでしのぎました。山小屋泊りで何度も暗闇は経験済みでしたので寒さも食べ物にも、不自由することはありませんでした。慣れというか、それ用の装備が豊富にあったので、あせらなかったのがよかったのかもしれません。 困ったのは情報が遮断されてしまったことです。電話もメールもテレビもダメ。ずっとラジオを聞いていました。「何とか町、全滅」というラジオニュースを聞いて、「全滅ってなんだ、それは」と意味がわかりませんでした。電気が通り、テレビを見て、はじめて津波が町を呑みこんでいく映像に、戦慄を覚えました。 こうした映像をみていた方々からの「お見舞い」だったのですね。 それにしても心配なのは「原発」です。これからは原発が地震報道の主役になっていくのでしょうが、誰一人「答えを持っていない」問題と私たちはこれから直面しなければならないわけです。憂鬱になりますが、いつか誰かが乗り越えなければならない問題でもあります。13日お昼の友人からの最新メールで、東京は輪番停電が実施された、という情報が入りました。強制的に3時間づつ地域毎に停電になる状況です。これからの被害報道は「原発」とともに「東京」がメーンになっていくのではないでしょうか。 そんなわけで、秋田は、私たちは、ほとんど被害を受けていません。だいじょうぶです。14日(月)からは通常通りに仕事をします。 (あ)
|
●vol.535 2月12日号 | ●vol.536 2月19日号 | ●vol.537 2月26日号 | ●vol.538 3月5日号 |