Vol.542 11年4月2日 週刊あんばい一本勝負 No.536


地震日記3

大地震から3週間がたって、もう4月に入ってしまった。正直なところ、いろんなストレスがたまりはじめている。なんでもかんでも被災地への「配慮」をしめし、支援を表明してからでないと行動や言論が前に進まない状況というのは、窮屈を通り越し、息苦しさを覚えるほどだ。手助けや援助は相手側から要請されるまでは静かにじっと待っ
て、何もしないつもりだ。
4月に入って、被災地に隣接しているとはいうものの山ひとつ隔ててほとんど被害のなかった秋田では、日常が戻っている。皮肉なことに便利なはずのコンビニだけが、いまも無残にタナは空っぽ、無用の長物のように11日の悲劇を物語る展示場になってしまっている。
3月中旬にお届けする予定だった「春の愛読者へのダイレクトメール」はずっとペンデングで、郵便事情が回復するまで待っていたのだが、ようやく昨日(31日)、ゴーサインが出た。多くの人たちのもとに届くのはさらに1週間ぐらいかかるだろうが、少しはほっとした気分。さて、今週も地震日記の続きである。

3月26日(土) ほうほうのていで山形から帰ってきた。新庄まで行ったが新幹線は不通、やむなく山形市まで車。ガソリンスタンドはほとんどが休業か長蛇の列。秋田では並ばなくても大丈夫なので完全に油断。山形の油は仙台経由なので補給が途絶えているのだ。福島ナンバーの車が「避難中」という張り紙をつけて走っていた。山形市内の飲食店は閑古鳥、ホテルは被災地に行くボランティアたちでごった返していた。ギリギリ帰りの秋田までガソリンはもったが、冷や汗もの。ちょっと軽率だった。反省している。

3月27日(日) 今日は男鹿三山の山登りの予定だったが、計画を変更、「山の学校」裏山の筑紫森登山。だったのだが、ちょっと疲れ気味。登らずに学校で留守番。薪ストーブを燃しながら手元にあったレザーノフ『日本滞在日記』(岩波文庫)を読み始めたら面白くてやめられなくなる。借りてきてしまった。薪ストーブと読書は相性がいい。

3月28日(月) あいもかわらず夜に昼に余震攻撃。昨夜、久しぶりに夜の散歩で市街地まで遠出した。いつもより車が多く出ていて、にぎやかな印象。もうほとんど街は表面的には正常に戻ったようだ。半面、コンビニはいまも食料品の棚が空。これはコンビニの物流が仙台経済圏にあるため。コンビニだけがまだあの「11日」をひきづっている。被害軽微とはいっても目に見えない被害はこれから出てくるだろう。形になって(倒産や廃業)秋田の経済に現れるのは5月6月あたりからか。恐ろしい。

3月29日(火) 知らず知らずのうちに怒りっぽくなっている。震災がストレスになって身体に巣くっているのだろう。何事もなかったように商品の営業に来る人、自分の都合だけで日程を変更しようとしない人、この災害をきっかけにひと儲けたくらむ人……いつもなら無視すれば済む連中の言動にいちいち腹が立つ。心の中に巣くった「何か」がストレスや苛立ちの原因なのだが、どこに向かう怒りなのかさえ自分でもよくわからない。はやくフツーの穏やかさを取り戻さなければ。

3月30日(水) なんとなく昼はバタバタしているので散歩は夜。自宅から駅まで行って帰ってくる約1時間5キロ。地震以来、なぜかカミさんには散歩ではなく「パトロールに行ってくる」と言うようになった。毎日駅のタクシー・ターミナルを見ていて気がついたのだが、やけに個人タクシーの割合が多い。車種もプリウスが多いようだ。どんな理由によるものだろうか。そういえば最近めっきりタクシーにも乗らなくなった。

3月31日(木) 電子書籍について訊かれると最近は「紙の本の編集者なので電子書籍はわからない」と答える。書籍という名前が付いているので誤解されやすいが、電子書籍は本とは別物だ。紙の本とは関係のない特殊な経験と技術をもった人たちが作るもので、自分にその能力はない。しかし同業者でも紙の本の延長に電子書籍があると誤解している人は少なくない。電子書籍はアプリケーションである。あなたにアプリがつくれるの? 

4月1日(金) 朝に夕にガアガアと鳴き声がかまびすしい。白鳥の渡りの季節がきた。空を見上げると6,7羽の編隊が事務所上空を飛行中。白鳥とわかるのは鳴き声が汚いから。仕事場の上空が彼らの渡りルートなっているのだろうか。もう4月だ。雪や冬という言葉が死語になってほしいのだが、そう甘くはない。白鳥は見切りをつけたようだが、われわれはもう2,3度、確実に雪との格闘が待っている。春はまだ、もうちょっと先だ。
(あ)

No.536

傷だらけの店長
(パルコ出版)
伊達雅彦

なんだか最近書店についての本が多く出ていないか。そんな気がするだけかな。出てもほとんど読まないから、あまり関係はないのだが。同じ業界の仕事仲間なので書店の内実を少しは知っている。本を買ってまで知りたいと思うようなことはないのだが、実は書店に対してトラウマがある。秋田県だけの現象だったのかもしれないが、出版社をはじめたころ県内の多くの書店の尊大な態度に驚いたことがあった。とにかく居丈高なのだ。本屋さんは街の文化拠点、といった雰囲気が生きていた。田舎では本屋さんは文化人でおおきな影響力を持っていた。さらに彼らのもとには片田舎に住んでいてもひっきりなしに東京の大手出版社の偉いさんや営業マンが挨拶(営業)にやってきた。同じ秋田の超零細地方出版社なんて笑っちゃうよ、という態度がありありだったのだ。新刊を出してもほとんど相手にされなかった。ときおり「新刊2冊、明日まで届けろ」なんていう理不尽な要求も経験した。一冊800円の本を車で2時間以上かかる場所に届けろ、というのだ。郵送するにしても送料はこっちもち。こんな経験があるからなのかもしれない。書店がどんどん地方都市から消えても同情をする気にはなれなかった。でも本書を読むと、本屋さんも辛いんだね、ということがよくわかる。

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