Vol.543 11年4月8日 | 週刊あんばい一本勝負 No.537 |
地震日記4 | |
あの3月11日からほぼ1カ月が過ぎ、被災地ではないとは言いながらも秋田ではだいぶ落ち着きを取り戻し、平常に近い形に戻りつつあるところでした。それがこの7日未明の震度5強。また振り出しに戻るのか、と一瞬青ざめました。まだなにも終ってはいない。すべてはこれからなのだ、と気を引き締め直しました。 あの11日の前と後ではまるで仕事を取り巻く状況や環境が違ってしまいそうです。その不安も誰もが抱え込んでいるのですが、まずは明日のために歩み始めるのが一番大切なこと。「いつも通り」にゆっくりと静かに歩いていきたいと思っています。 そんなわけで、今週からは「地震日記」ではなく、いつものコラムを書く予定でいたのですが、ついさっきまで停電で、やはり地震日記の採録になってしまいました。あまりに重い事実の前に、他のことを書いても、なんとも薄っぺらに思えてしまうのです。申し訳ありません。 4月4日(月) 4月の声を聞くと同時に念願のDM発送。郵便局からようやくOKが出た。大量のメール便なので、郵便局側の事情でペンディングされていたもの。これで少しホッとしたが、身辺の閉塞感はあいかわらず。自粛ムードが充満していて、うっとおしい。週末は思い切って近所の岩谷山へ。やっぱり山はいい。マンサクが咲き始め、イワカガミもあと一息だ。春の山を歩いていると希望がふつふつとわいてくる。いい気分転換になった。来週は男鹿三山に行こう。 それにしても週末の駅周辺の混雑は「異常」だ。秋田ってこんなに人が居たっけ。仙台の駅や空港が不通になれば、こんなことが起きるのか。 4月5日(火) 義捐金にかんして糸井重里さんが興味深い発言をしている。義捐金の目安を「自分を3日間雇える金額」と考えたらどうだろう、というのだ。誰も言いたがらない領域に踏み込んだ勇気ある発言である。こういう具体的なことを言える評論家や学者がほとんどいなくなった。24時間テレビなどでタレント目当てに10円や100円単位のカンパをする若者たちを想定したものいいなのだろう。雑誌「BRUTUS」はその糸井重里特集。雑誌嫌いなのだが丸ごと1冊、雑誌を完読してしまった。同世代のトップランナーであり、表現者として天才的な力を持ったクリエーター。私はそう思っている。 4月6日(水) 元鷹巣町長の選挙違反事件に絡む判決公判。長い列に並んだが傍聴券を外してしまった。今朝の新聞で「有罪判決」を知った。想定内だが、やはりどう考えてもこの事件は村木さん以上に免罪の匂いがする。先に有罪が確定している現金収賄側が一転、買収側の証言に立ち、金は実は「買収ではなくアルバイト代」と発言を翻している。ところが収賄側の先の裁判と、今回の買収側の裁判の裁判長は同一人物(!)なのである。もし無罪判決が出れば、この裁判長は先の買収側の判決との整合性がとれなくなり、論理的にも倫理的にも破たんする。想定内というのはそういう意味だ。控訴審も通い続けるつもりだ。 4月7日(木) 韓国のドキュメンタリーのような不思議な味わいの映画『牛の鈴音』を観た。その前日は佐川光晴『牛を屠る』を読み、そのまた前日には一人で焼肉屋に入って牛肉を食べた。さらにその前日には網野善彦『歴史を考えるヒント』を再読。すべてはその10日前、上原善広著『日本の路地を旅する』という本を読んだのがきっかけだった。映画や焼肉屋は、まあこじつけである。今日は佐川のデビュー作で屠殺場の日々を描いた『人生の設計』という小説を読む予定。 4月8日(金) いま(8日午前11時半)、ようやく電気がつきました。昨夜は11日よりも動揺しました。11日は散歩中だったのですが、昨夜は風呂上がりの寝間着姿。テレビに地震予知警報が出た瞬間、グラッときて外に裸足で飛び出しました。海に放り出されたように景色が波打つっていました。すぐ電気が止まったので恐怖は一入。数日前ヘルメット(工事用)を購入したので、さっそく役立ちましたが、ラジオ(手巻き発電)がダメ。便利そうな物ってホント役立たない。それとアイフォンって肝心な時に通じなくなる電話なんですね。これにも失望。朝一でカミさんの実家(無人)の倒れたレンガ塀修理のため職人さんと実地検分。今日中にどうにかなりそうだ。 (あ)
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