Vol.544 11年4月16日 週刊あんばい一本勝負 No.538


地震日記5

地震日記も5回目か。震災のことだけで日々が構成されている訳ではないのだが、書くことはけっきょく震災関連になってしまう。それほど大きな事件だったのだろう。震災以外にもこの週は『秋田内陸線、ただ今奮闘中!』と『秋田県民は本当に〈ええふりこぎ〉か』の2冊の新刊が出て、事務所のテレビも新しくなり、夜、カミさんと食事に出て、昼のパトロール(散歩のことです)も欠かさなかった。来週も山はあるし、新刊と増刷が2点できてくる。外にお話しをしに行く予定だし、モモヒキーズの舎内飲み会も計画中だ。震災以外のことも平常通りやっているのだが、そこらへんを活字化する気力が起きない、というのが正直なところだ。


4月9日 夜の秋田駅はほとんど無人で不気味。一昨日の地震で電車が止まったせいもあるが週末の混雑ぶりとは対照的。これは仙台駅の不通がもたらした一時的な迂回渋滞だったのだろう。3・11以前と以後では世界が全く違ったものになるのは、だれもが感じていることだろう。飲食店や観光サービス業ではそろそろ音を上げるところが出始めているようだ。夜のパトロールをしながら、いろんな思いが脳裏に去来する。

4月10日 快晴。今日は男鹿三山に花(福寿草)を見に行く。この山が秋田で一番早く花が咲く。天気はいいし寒くもない絶好の山行日和。出かける間際に選挙もあることを思い出し、とたんに憂鬱。高額な給与ももらえる期限付き職場争奪戦の様相を呈している地方議員選挙に、ほとんど何も期待していない。でも棄権だけはしない。どんなことがあっても投票には行くが憂鬱だなあ。史上まれにみる静かな選挙戦で助かったけど。

4月11日 目に見えない大きな閉塞感にからめとられ少々うっ屈気味。男鹿・毛無山のカタクリ、イチリンソウ、フクジュソウは素晴らしかった。お上から自粛しろだの、自粛は控えてとか、あれこれ言われる筋合いはないので山行後はカミさんと外に食事に行く予定だったが、帰りが遅くなり、けっきょくは家で食事。県議選は「落ちるだろう」と予想した人たちがみごと落ちていた。こういう予想、選挙に興味ないくせにけっこう当たるんです。

4月12日 ヒンシュクを買うかもしれないなあ。「焼き海苔保温器」を買ってしまった。ずっと欲しいと思っていた「無意味で無用」な代表のような料理道具だ。蕎麦屋ではよく使うのだが、まあ、わからない人はわからないままでいい。それなりに高価なもので、火力には炭を使う。カミさんにはしばらくみせられない。事務所の飲み会でみんなにはやく見せびらかしたい。しかし「かっぱ橋」はさすが何でもある。うれしい。

4月13日 不幸中の幸い、というのは当たらないか。被災地のある著者の安否を尋ねる手紙(ファックス)をドイツ文学者・エッセイストの池内紀先生からいただいた。「無事のようです」と返事をしたら、また先生から感謝のファックスが届いた。敬愛する作家の自筆のファックスである。それも実に味のある文字群で、ミーハーと笑われそうだが机の前にずっと貼っている。ほんとうは額装したいくらいだが、そんなことを一番嫌う方なので、かろうじて思いとどまっている。

4月14日 DM(ダイレクトメール)の返信注文が少ない。例年の半分、いやそれ以下かも知れない。愛読者の多い被災地への通信はひかえたのだが、この傾向は一過性ではなく「平準化」していくのかも。右肩下がりの時代をどうやって生き延びるのか。前から考えていたことだが、いざ現実が目の前に立ち塞がると、けっこううろたえる。右肩下がりのライフスタイルやビジネスモデルへの下準備はしてきた。でも実際にギアチェンジするには勇気がいる。若者たちの未来に泥を塗ったような後味の悪さもぬぐえない。

4月15日 山仲間の女性薬剤師が被災地に派遣されることになった。遊び仲間としてはちょっと誇らしい気分になる。手に職を持っていたり、他者から望まれる技術を持っている人は羨ましい。つくづく自分の仕事があってもなくても誰も困らない「虚業」であることに思いいたる。朝、50羽近い白鳥の迫力ある「渡り」を目撃。例年より「渡り」も遅い。
(あ)

No.538

日本の路地を旅する
(文藝春秋)
上原善広

09年に出た本だが、いろんなところで話題になり賞も総なめにしているノンフィクションである。書名が凡庸なので手に取る気が起きなかったが、「路地」というのは中上健次がいうところの「部落民」の住む場所のこと。そのことがわかると書名にこめられたいろんな意味が重層したうまい書名だなあ、と逆に命名の見事さに感じいってしまう。読み終った人はその感を一層強くするに違いない。書名とともにある種の「とっつきにくさと誤解」をつくりだしているのが目次だ。書名にならい日本全国の地名で各章が構成されている。どう見ても日本の「路地」(被差別部落)のガイドブックである。これでは自分の関心のある地域しか読みたくないのが人情だ。読むとわかるのだが地名順のルポになっているのはあくまで便宜上で、ほとんどガイダンスとは無縁の本なのである。地名は構成上の「手段」で、自分の生い立ちや部落民ルーツをフットワーク軽くさかのぼっていく。その軽やかで前向きな過去に拘泥しない向日性が、いい。時間をかけた丁寧な取材の上に明るい花が咲いている。暗いルーツをたどる旅なのに暗さを感じさせないのは著者そのものに力量があるからだ。ここからさらに関連図書を読みたくなる、すぐれたノンフィクションである。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.540 3月19日号  ●vol.541 3月26日号  ●vol.542 4月2日号  ●vol.543 4月9日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ