Vol.585 12年1月28日 週刊あんばい一本勝負 No.578


1月2月はヒマですね。

1月21日 去年ごろからアレレレッと思っていたのだが、週末になると12時間近く爆睡する。熟睡できるのは「若さ」だというのなら、なぜか急にこのごろ若返ってしまったのか。できるだけ週末も普段と変わらない規則正しい日常を心がけていたのだが、身体は思った以上に疲れているのかもしれない。今日も12時間こってり睡眠。もちろんカミさんの了解を得ての行為だったが、3回に1度は「自分のスケジュールが台無しだ」と敵は不機嫌極まりない。それと寝すぎるとその日の夜眠られなくなる、という問題をどうクリアーするか、課題だなあ。

1月21日 さすがに週のうち丸4日間も出張で空けてしまうと仕事は山積み。本来であれば今日は森吉山の樹氷ハイクの予定だったがパス。溜まった仕事も雑用もこの週末で一括処理するつもり。それにしても身体が異常なほど「甘もの」を欲しがる。たぶん疲労が蓄積しているせいだ。甘味を控えると同時に山も少しセーブして、毎日少しでもストレッチ体操(自己流)を習慣づけることにしよう。間食を控えるだけで体重の数キロはすぐに落ちる、はずだ。

1月22日 久しぶりに週末はびっしり事務所三昧。半分は仕事、半分は仕事場の掃除と整理整頓。自分のいる場所の掃除は自分でやるのが決まり。が最近、舎内宴会が増え、食料品(酒や食器類も)が増え整理が大変だ。資料と違い汚れや劣化、おまけに匂いや出し入れも激しく、周辺がすぐにとっちらかってしまう。仕事場に「生もの」が散乱しているのも問題だが、冷蔵庫と資料庫を使って人目に付かないように隠している。のだが、どうしても大ぶりの食器類は隠しきれない。シャチョー室は文献資料に代わって食器類が主役のような顔をして、いたるところに鎮座している状態だ。

1月23日 定番の夜の散歩が雪のため道路が消え、通れない。昼に駅前経由で帰ってくる5キロコースに変更。昨日は歩道いっぱいに歩く高校生(中学生?)たちと交差、危うくケンカしそうになった。2人の真ん中を割って通ろうとしたら「片側を通れっ」とガキに嘯かれたのだ。腕をつかみ、「謝れ」と説教したが、無言のまま逃げるように立ち去られた。家までついて行こうかと思ったが、こんなガキの親だから、輪をかけて親バカだと厄介だ。そういえばアメリカでは何にでもクレームをつける親のことをヘリコプター・ペアレントというらしい。世界中、親子の関係は似たようなもの。このガキ2人の顔は一応ちゃんと覚えている。

1月24日 打ち合わせのため高齢者のお宅のある八郎潟町まで出かけ、今日はデザイナーの住む能代まで出張。雪が多い日は車が四輪駆動でないから不安なのだが、こもっているとろくなことはない。積極的に外へ出ている。車は去年末に新車になった。が、雪のせいもありほとんど乗っていない。こちらでは車は必需品だ。なしでは済まされないものだが、市内の用事は散歩も兼ねて「歩く」と決めている。もっぱら市外用なのだが県外は長距離ドライブのため事故の危険性が増す。そこで「電車で」とこれもまた自己規制している。結局、車は無用の長物ということになるのだが、カミさんのアッシーや緊急用としてなければ困る、そう、例えれば消火器のようなものかな。

1月25日 1月2月は1年で最もヒマな時期。去年は例外でやたらと忙しかった記憶があるが、今年は例年通りヒマだ。それでも月2本ペースで新刊が出せそうなのでホッとしている。出版のマーケットはまちがいなく年々縮小を続けている。小さくなる一方のパイを分け合うという状態だ。奇跡の挽回策などあるはずもないし、ましてや劇的に本が売れだす要素など、どこにもない。欲張らず、過去の夢にすがらず、目の前の仕事をこなしながら、ソフトランディングを模索し続けるしかない。いくつか考えているプランがあるのだが、なかなか重い腰が上がらない。

1月26日 毎朝、新聞の切り抜きが仕事だ。今日はやけに仕事関連の切り抜きが多い。電子書籍や映画のスクリーン数の減少といったものはともかく、ヒトラーの「わが闘争」がドイツでは出版禁止になっている、というのは初めて知った。県内では県南の地域誌が廃刊のベタ記事。これはちょっと驚いた。元地元紙の記者が「鳴り物入り」ではじめた新聞だ。去年11月の創刊だからまだ2カ月も経ってない。その見通しの甘さには開いた口がふさがらないが、実はこの会社には知り合いの娘さんが就職していた。相談を受けたとき「いまどきそんな出版ビジネスはあり得ない」とアドヴァイスしてやれなかった自分が恥ずかしい。
(あ)

No.578

成熟ニッポン、もう経済成長はいらない
(朝日新書)
橘木俊詔+浜矩子

テレビを見ていると世の中で一番信用できないのは経済評論家なる輩ではないのか、といつも思う。10年前20年前30年前、彼らはブラウン管の中でどんな発言をして、この国の未来を語っていたのか。ちょっと検証すればわかるが、テレビ局はメンツもあるのだろう、自分たちに不利になる過去の証拠映像をリフレンすることは、ない。そうした経済評論家の面々の中では浜矩子はちょっと上から目線も難点だが、ある種の「あきらめの潔さ」のようなものが際立っていて、男っぽい。だからというわけでもないが、迎合的な楽観論から遠く、少しは信用できるような気がする。まあ気がするだけで、こちらにはなんの根拠もないのだが。「いいじゃない中国に抜かれたって」「グローバル化が進んだら経済成長ではなく成熟先進国になればいい」「1ドル50円時代は大歓迎」と言った過激な「後ろ向き」評論が彼女のテーマだが、お相手の同じ同志社大学の橘木先生の影は薄い。お相手としては役不足の感は否めないが、浜先生の理論的核心部分をわかりやすく聞き出すいいホスト役は果たしているといえるのかもしれない。世界の先進国はいやおうなく「衰退」へと向かうのは必然である。ヨーロッパを見よ、というわけだが、アメリカはまだ先進国ですらない、という言論はなかなか新鮮である。

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