Vol.594 12年3月31日 週刊あんばい一本勝負 No.587


年度末に休みが取れて

3月24日 今週末は珍しく事務所に閉じこもってお仕事。それもデスクトップの前でひたすら手紙を何通も書く、というものだ。7通ほどの手紙を書く予定だが、中身はすべて「本にできない理由」や「出版した際の問題点」「書き直しのお願い」や「出版条件の変更」といった内容だ。ま、要するに出版依頼への回答書のようなもの。私のルーチン・ワークといっていい仕事だ。手紙を書くのはそんなに苦手ではない。昔は本当に嫌だったが、形式から自由になると、しゃべるよりも手紙のほうが意思を伝えやすくなる。

3月25日 雪が消えたので夜の散歩コースを「駅往復」から定番の「まっくら田圃コース」に戻した。人とすれ違うこともないし、車も通らないし、風景が見えないのが、なによりもいい。目に見えたもので思考を邪魔されない。この時期は白鳥の北帰行も盛りだ。編隊を組んで真っ暗な空をガーガーと鳴きながら飛んでいく。うるさいほどだが、私の住む広面地区は渡りのルートなのだろう。星もきれいに見える。やっぱり散歩は夜の暗闇の田んぼがいい。

3月26日 大宮エリーの『生きるコント』という文庫本を読んでいたら、のっけに学生時代、試験が嫌でブラジル・リオに旅に出たことが書いてあった。開放的なカリオカ(リオっこ)にならいバスにビキニ姿のまま乗って乗客にドン引きされ、夜になってもその姿で「世界一治安の悪い街」を走り回る。行った人でないとわからないだろうが、夜に女が一人で街に出られる街ではない。男ですら身ぐるみはがされる。それを若い女性が半裸で駆け回るのである。笑いもひきつってしまったが、彼女が読者に与えた最も大きなインパクトは「東大生って、こんなにバカなの」というイメージかも。才能があるというのはうらやましい。

3月27日 外は吹雪や雨や曇天。気分も似たように晴れない。朝起きると外が一面銀世界なんて、この時期、情緒も何もあったもんではない。悲運を嘆きたくなるが、ここは我慢のしどころ。机に向かう。大きなヤマは越したばかりなので集中してやる仕事もない。でも机に座っていないと不安だ。こまった性分だが、これで40年生きてきたのだからしょうがない。仕事をするというよりも何かをずっと待っている。待つことしかない。何を待っているのだろう、と自問自答してみるが、よくわからない。S・ベケットの『ゴドーを待ちながら』をもう一度読んでみたくなった。

3月28日 昨夜は久しぶりに十文字にある居酒屋の「蕎麦打ち宴会」。友人と参加。楽しく飲んでいたらグラングランと平屋の建物が大きく揺れはじめた。このお店は線路脇にある。揺れと同時に列車が通っていたので、しばらくは列車の振動だと思っていた。あれっ、いつも電車が通るたびにこんなに揺れたっけ? 地震だ、と誰かがいう。震度4は確実な揺れだ。他人の家で味わう「揺れ」は恐怖が違った。半端じゃない横揺れだった。住んでいる環境で地震の恐怖というのはかなり差がでる、ということがわかった。

3月29日 ようやく気持ちを決めた。2日間休みをとることにした。仕事をしなくても、机の前に座っているだけで安心できる……こうした体質をそろそろ改めないといけない。のだが何十年もかけてつくりあげられた「慣習」や「性癖」は、そう簡単には「改変」できない。でも少しずつ変えていかないと、いつの日か、突然奈落に落ちていくような「変化」と遭遇する羽目になる。それはイヤ。年と取るたびに頭を柔軟にしていく努力をしなければ。

3月30日 というわけで木金と休みをとって安比高原にスキー。初日は快晴で、生まれて初めて大きなゲレンデにコーフンしながら、おもいっきり滑り倒した。その日は盛岡のホテルで1泊。今日も朝から滑る予定だったが、ものすごい雨。吹雪ならまだしも雨はちょっと……。で予定を変更、帰ってきた。午後の3時にはこうして机に座って仕事をしている、のだから情けない。でも1日半、仕事のことを忘れて存分に楽しんだ。これで十分満足だ。

3月31日 今日で3月も終わり。お役所は明日から新年度。公官庁の仕事をしていないので年度末がどうこうという話とは無縁だが、ちょっぴり気になるのは教科書のサブテキスト本の注文がこの時期に集中する。その数が気になることぐらいか。こうしてだんだん世間との溝が深くなり、忘れ去られ、消えていくのだろう。まあそれも世の常、流れに抗ってどうこうしたいということもない。3月に出した『全訳遠野物語』の増刷が決まった。うれしいニュースだが増刷がほとんど売れ残ることもある。ままならない世の中だ。光の見える方向に歩むことだけでもしんどい、なんていう時代を誰が予測しただろうか。
(あ)

No.587

すべて真夜中の恋人たち
(講談社)
川上未映子

恋愛小説は不得手、というのも変だが、積極的に読みたいとは思わない。とくに著者が若い女性で、かつ女優で文筆家というのだから、ま、縁遠い世界だろう、と鼻っから見切りをつけている。そういう食わず嫌いが問題で、なんとかしたいと思っているのだが、かといって片っ端から偏見なしで本を読むのも時間のロスが多すぎる。しかし、本書は大正解。恋愛小説、いいじゃない、という感じだ。最後は少し泣いてしまった。そして恋愛の行く末に思いをはせ、貧しい想像力を駆使して2人の未来について考えてみたりした。小説の持つすごい力だ。主人公は若い女性である。この主人公のキャラクターがいい。職業は本の校閲者、無口で非社交的、容姿もごく普通(以下)のどこにでもいる女性だ。ほとんど男との出会いのない彼女が出会ったのが、ずっと年上の物理の高校の先生。ラブストーリーというには申し訳ないほどの、おだやかで静かな交際が、美しい文章で淡淡と描かれている。もちろん小説としてのどんでん返しや意外な展開もあるのだが、それよりもなによりも抑制のきいた主人公の心理描写が秀逸で、若い女性への偏見を反省したくなる。そうか、これなら同じ若い女性作家でないと、その心理のディテールまでリアルに描けないよな。恋愛小説が嫌いなのは、たぶん男の作家が描くステロタイプの男女間の定型ラブに拒否感があったのかも。

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