Vol.597 12年4月28日 週刊あんばい一本勝負 No.590


もう千秋公園の桜は満開です

4月23日 理由はわかったものの、あいかわらずメガネがしっくりこない。何とか慣れるしかないのだが、この年になると順応するのも一苦労だ。週末は友人と男鹿にドライブ。リニューアルしてから初めて水族館に行ったが、前のほうが好きだなあジブンは。翌日は原稿書きで週末は終了。メガネの調子がいまいちで、なにをしても集中力が続かない。さらに悪いことにシャチョー室に蟻を発見。ここでおやつや昼を食っているから、いつかは出ると思ったが……。白アリ被害の経験者なので、蟻は本当に怖い。狂ったようにアリコロリを散布、どうか仲間を引き連れてこないでくれ。

4月24日 すっきりしない天気が続く。気分はうっとうしく沈んでいる。ふと、その昔(10年以上前)と今では仕事量はどちらが上だろうか、なんてことを考えた。忙しそうにふるまっていた昔も、時間を均せば1週間の仕事量は、今とそう変わらないのではないか。パソコン中心の仕事になってから仕事時間は短くなったが、こなす仕事は増えている。年間の刊行点数からもそれはあきらかだ。還暦を過ぎても、あくせくと仕事中心の暮らしを続ける「今の自分」は幸せなのだろうか。よくわからない。

4月25日 朝っぱらから仕事場でレインジャーズ対ヤンキース戦。黒田対ダルビッシュの直接対決だ。その前の、ローマの教会のだまし絵の番組もずっと家で観てしまったから、テレビ漬けである。メガネによる吐き気はまだ本調子ではないのだが、もしかして最近、テレビの観すぎから不調はきてるんじゃないの、とジブンに突っ込んでみる。確かに事務所でも家でもテレビと向き合っている時間が長くなった。野球中継のせいもあるが、このところわくわくドキドキする本に出会っていないこともある。今日は快晴。天気がいいだけで気分はいい。これで千秋公園の桜は一挙に咲き出すだろう。このところ毎日、昼には千秋公園経由で散歩。

4月26日 午前中はいつもNHKのFMラジオを聴きながら仕事をする。曜日毎の番組は頭に入っている。が、この4月の番組改編で大幅にというか、全面的に番組が変わってしまった。クラッシックからポップスに軸足を移し、益体もない「おしゃべり系番組」が多くなった。「ながら族」としては音楽はともかく耳障りな「おしゃべり」は邪魔でしょうがない。最近はもっぱらCDを聴いている。でも入れ替え作業がはめんどうくさい。いつも決まったCDを繰り返し聴く羽目になる。なんとかならんかっ、って誰に怒ってるの。

4月27日 ここにきてGWの予定を何も立てていないことに焦りだした。仕事があるので油断していたのだが、どうやら前半で仕事は片付きそう。ま、どうにかなるか。昨日はカミさんに拉致され外食。近所の洋食屋さんがなくなったが、実はもう1軒、誰を連れて行っても大丈夫な洋食居酒屋がある。川尻なので遠いのが玉にキズだったが、交通費をかけても行きたくなる店だ。2人でそこへ行ったのだが、なんと川反に引っ越していた。消える店あれば、繁盛して大きくなり1等地へ引っ越す店もある。引っ越した店も相変わらず混んでいて、美味しかった。近くなったので、しばらくはこの店に通うことになりそうだ。
(あ)

No.590

火の話
(石風社)
黒田征太郎

昔から黒田征太郎の絵が好きだ。もう20年も前、弘前市で彼の個展が開かれた時、わざわざ見に行ったほどだ。そして1枚の鳥の絵(シルクスクリーン)を買った。その絵はまるで飽きない不思議な絵で、今も事務所の応接室に飾ってある。本書は絵本だ。版元は福岡の石風社。そうか、ニューヨークから09年に北九州市に活動拠点を移していたんだ。私の友人の絵かきもそうだが、絵描きはどうしてこうも「放浪」が好きなんだろう。友人も秋田生まれの秋田育ちなのに、世界を転々とし今は沖縄にいる。「見る」ことに変化や刺激がなければ新しいものを生み出せない種族なのかもしれない。本書のテーマは表題のとおりだが、火とは最後には地震になり津波となり放射能に変わって、人間に襲いかかるから、この3.11に誘発されて書かれたものである。「あとがき」に黒田はこう書いている。「小さくて弱い人間が、ヒトになるまでの永い永い時間、神である太陽やらまわりの自然から学び、おそれ感謝しながら生きてきたヒトが火でコロスことを知ってから現在までのスピードの早さは恐ろしい」。この「あとがき」に付されたカット的な絵がいい。

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