Vol.627 12年11月24日 週刊あんばい一本勝負 No.620


雨、雨、雨。そんな日は本でも読もう

11月17日 スノータイヤにはきかえた。車のことはなにからなにまでNさんという車屋さんに任せっぱなし。明日は雪山に登る予定なので少し早めのタイヤ交換してもらった。この頃、自分の下手な運転も心配だが、ケータイ運転や高齢者のわき見運転を散歩中にしばしば見かける。歩道で一時停止する車も本当に少ない。危険だなあ、と再認識しているのだが、地方では車なしで生活できない。市内にいるときはできるだけ歩くが週末は車依存が強くなる。事故を起こさないよう心するしかない。

11月18日 夜中じゅう雨。起きても雨は止まなかったが日曜登山は予定通り決行。Sさんは「暴風雨でもちょうどいい山を選びました」とでもいいたげにスイスイと先頭を登っていく。由利本荘の東光山だ。登山口ではピタリと晴れたのだが、下山はすさまじいい雷と雹。逃げるように下りてきたが、これもまた想定内の山歩きの愉しみ。びしょぬれの後の温泉の気持ちいいこと。いつも晴れより暴風雨も乙なもの。小さな危険のない山なので許される行為だが、いい子はまねしないでね。午後3時前には家に戻ったが、なんとも中途半端な時間帯で無聊をかこつ。冬の山はもうこんなのばっかり。下山後の愉しみを何か新しく作る必要がある。

11月19日 「朝照らし」という言葉をはじめて知った。「朝照らしは婿泣かせ」といったふうに使うのだが、秋田方言では「朝てっかり」もと言う。朝、晴天なのに、矢先に雨にかわる天気のことを言う。雨が降るのをわかっているのに姑が、婿に「天気がいいから働きに出ろ!」と意地悪く外に出してしまう「婿いびり」の格言のようだ。曇天の中に朝日が差し込む朝まだき、とぼとぼ路上を歩いている男は、もう確実にお婿さんである、なんてことはないか。カーナビが付いていない車を「生ナビ」と言った人もいたなあ。これも衝撃的な言で印象に残っている。

11月20日 今日は「歴史的」なアマゾン・キンドルの発売日。これで日本の読書環境に革命が起きるのか、他人事のようだが興味津津だ。ところでデジタル世代の若者たちは年をとったら、昔を懐かしんだり思い出話に花を咲かせたりするのだろうか。懐かしい曲や過去の映像や出来事もデジタルで記録されてさえいれば、いつでも瞬時にスマホでその「過去」を呼び出せる。懐かしい曲も作家も風景もへったくれもない。そんな世界に彼らは生きることになる。「ね、ね、あの曲覚えてる?」「「えっ、(検索して)こんなダサい曲知らないよ」、なんて会話を瞬時に交わすのだから、コミニュケーションの継穂がない。なんだかすごい世界だね。でもこれは近未来の現実だ。

11月21日 夏の猛暑と水不足を詫びるように毎日雨が降り続いている。いまごろ謝られても困るんだけど。小春日和が懐かしい。澄み渡った青空に飢えている。そんなものあったけ、というのが正直な、今の心境である。そんななか捗ったのが冬の愛読者DM用の原稿。散歩はできないし外出も億劫。これでは仕事でもするしかない。いつもならグズグズ一週間近くかかるのに(チラシ数種と通信)、今回は3日間でやっつけてしまった。悪天候に感謝である。もうDMは終わったから、いつでも晴れていいですよ、お天道様。

11月22日 寝る前に渡辺一史著『北の無人駅から』(北海道新聞社)を1篇だけ読む。800ページ原稿用紙1600枚の大作で、7つの北海道の無人駅の物語がおさめられている。もう3篇を読了。1篇だけでも100ページある。いきなり両足のない漁師が登場し、狼と暮らす夫婦がさりげなく語り出す。こうした濃すぎる登場人物も、渡辺の冷静で抑制のきいた文章で、ちょうどいい味わいを醸し出している。今夜はどんな北海道人に出会えるのか楽しみだ。それにしても北海道のどこにでもある無人駅を取材しただけの本が地元新聞社から発売され、一年間で4刷。800ページ2500円の本ですよ。サントリー学芸賞や早稲田ジャーナリズム賞を受賞しているが、たぶんこれからも長く広く読み継がれていくのだろう。本も捨てたもんじゃない。

11月23日 いい気になって雷と雹のなかを由利本荘市にある東光山に登ったのは18日の日曜日。その同じ日、森吉山では青森の男性が谷斜面に足を滑らせ滑落死していた。まったく知らなかった。低山は少しぐらい冒険的要素がないとね、などと嘯いていたた自分が恥ずかしい。やはり山はどんな低山でも危険なのだ。亡くなった青森の人は「NPO法人コウモリの保護を考える会」の代表者で生態調査に入ったぐらいだから、少なくても山の素人ではない。ガイドしていたのも知り合いの森吉山のプロ中のプロ。これでも事故は起こる。ショックだ。これを自らの戒めにして山に行かなければ。
(あ)

No620

木挽町月光夜咄
(筑摩書房)
吉田篤弘

映画化までされた「つむじ風食堂の夜」を読んで、途中でやめてしまった。だいぶ昔の話なので、どうして途中リタイアしたのか、その理由は忘れてしまった。たぶん興味が続かなかったからだろう。そのあと懲りもせず映画までレンタルビデオで観ている。これも退屈で途中でやめた記憶がある。内容を覚えていないからだ。なのに何度もチャレンジしているのは書名がいいからで、心を打つうまい書名だ。大事だ。本書もきれいな書名だ。本書は好きなエッセイ集なので、ちゃんと読み通せた。おもしろかった。エッセイの書き方としての切り口が新鮮で、そのあたりがおもしろかった。身辺雑記エッセイとは一味違う、テーマが設定されている小説風のエッセイである。この試みは成功している。ダイエットのために散歩をすることになり、その散歩の目標を木挽町で寿司屋をやっていたという曾祖父の幻の店を探し、そこまで歩いて行ってみよう、と定めるところから始まる。自らの日常と曾祖父への追憶、散歩の快楽がゴチャゴチャにまじりあい、過去と未来が一つになっていく。qもう一度、「つむじ風食堂の夜」に挑戦してみるか、と思わせるほどのおもしろさである。

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