Vol.628 12年12月1日 週刊あんばい一本勝負 No.621


ポピュリズムの嵐の中で、何もできない自分が悔しい

11月24日 昼飯と間食(甘もの)を禁止したダイエットから2週間。体重はすぐに2キロほど落ちたが、以後はその前後の数字を行き来するだけ。このへんで堪忍袋の緒がきれ、元の黙阿弥になるのだが、グッと我慢。目標の体重に落とすまでは、なんとか続けようと思う。落ちたのはたった2キロだが、それでもずいぶん日常生活のなかで「身体が軽くなった」。ズボンや靴下がするりとはけるし、山でも下山が楽。実態としては5,6キロ落ちたような感じなのだ。今まで重すぎたんだろ、と言われればそれまでだが、身体の変化に敏感になることは精神を研ぎ澄ますことにもつながる。でも夕食が待ち遠しい。量も多めに食べてしまう。このへんが課題だなあ。

11月25日 毎日何かしらの予定が入っている。雑用だけど。冬DMの印刷・発送作業も重なった。今週はなんだか段取りを考えるだけでも頭が痛い。つらつら考えるに仕事でもなんでも「重なる」とダメだ。とたんに冷静さを失い、右往左往する悪い癖がある。大きく深呼吸して、優先順位を決め、ゆったりと仕事を始める。と自分ではわかっているのだが現実はそううまくいかない。今朝も「さあやるぞ」と出舎してきたのだが、コーヒーを入れ新聞に目を通すうち、昨夜来決めていた優先順位を疑い出した。そしてまた一からやり直し。どうしてこうなるの。

11月26日 焼き鳥が好きだ。鳥ではなく豚のほう。でも東北には美味しい焼きトン屋は数えるほどしかない。ほとんど東京に集中しているのは、なぜ? と前から疑問だった。調べてみると、屠殺場から出た内臓を焼いて屋台で売り始めたのが関東大震災(大正12年)のときだ。なるほど東京で誕生した食文化だったのか。焼き鳥のほうが歴史は古いが(江戸時代の鶏鍋屋が昭和初期ごろから焼鳥屋に。戦後から焼き鳥屋台が増えだした)、屋台としては焼きトンのほうが古いのは意外だった。焼き鳥の起源というのはコメの害鳥だったスズメ(鷹の餌でもあった)を食べたことによる。なるほどなあ納得。早く調べればよかった。

11月27日 昼食の代わりにスルメをかじっていたら、夜、思いっきり歯が痛くなった。すぐ歯医者さんに。医者は嫌いだが歯医者は全く抵抗がない。2本の歯の根元が炎症を起こしているのがレントゲンでわかった。そういえば昔はレントゲンをとると結果が分かるまで数日を要した。今はタイムラグなし。すぐに痛みの理由が分かり、その日のうちに痛み止め治療終了。科学や技術の進歩は本当にありがたい。この歯医者さんとは5,6年前に出会った。もう「かかりつけ」と言っていいだろう。普通のお医者さんともこんな関係になりたいのだが、なかなかうまくいかない。その根底には医師のアカウンタビリティの欠如に対する不信感がある。もっと丁寧に理解できるように説明してくれよ、と診察のたびに思う。偏見があるのかもしれないが理系オタク風の医師が多すぎる。

11月28日 週末でもないのに休みをとって山へ。ズル休みだ。由利本荘の八塩山という713mの小さな山なのだが、もう7,8回は登っている大好きなハイキング・コースだ。秋田市からも遠くない。踏み跡のない新雪を先頭で登っていくのは気分がいい。カモシカやウサギの足跡を楽しみながら、突然本物のウサギと対面したり、キツツキに似たホシガラスも近くで初めて観た。キツツキのきれいな円状の巣穴に驚いたり、鳥海山の眺望にも感動した。雪がなければありえない新鮮な感動が、雪の冬山にはいっぱいある。だから冬山が好き。汗っかきにはちょうどいい「寒さ」というのも、いい。

11月29日 歯医者に行ったり、電話工事が入ったり、書庫を整理したり、山に登っているうちに、一週間はあらかた忘却の彼方に。宮城県のKさんの詩集を編集していたから、仕事も少しはしているのだが仕事の絶対数が昔に比べて圧倒的に少なくなったのは事実だ。かといってヒマなわけではなく雑用に振り回される日々。世の中はまちがいなく、進んではいけない「負のベクトル」のほうに突き進んでいる。そうした問題解決に向け、何もすることできない「無力な自分」を知らされるばかりだ。こんな時こそ「いい本をつくって」、少しでも世の中のお役に立ちたいのだが、本が果たす役割は年々縮小するばかり。老兵は紙と共に去りぬ、なのかな、やっぱり。

11月30日 11月も終わり。時の経つのが早い。いや早いというよりも「なにもしないうちに時間だけが」という感じ。毎日がどうでもいい雑用の処理で過ぎていく。あいも変わらず出版業界は低落傾向に歯止めがかからない。って他人事みたいだが、こちらもそれなりの危機感は持っている。持ってはいるのだが、不況の本質的な理由は巨大で抗えない「時代の流れ」。だから、なすすべもなく傍観しているというのが正直なところ。来年あたりから中堅どころの出版社の倒産話が業界をにぎわしそうだ。ノーテンキな「強い国」や「美しい国」といった言葉は、いったいどこの国のお話なの。
(あ)

No621

今に生きる親鸞
(講談社α新書)
吉本隆明

年齢を重ねるとともに、否応なく仏事にかかわることが多くなる。先日も近所の知人がなくなり葬儀に行ってきた。宗派やしきたりにとらわれて、毎度のことながら委縮してしまう。早く仏事に慣れたい。本棚にさしてあったこの本を再び取り出した。うちは浄土真宗ではないが、いかにして仏教が人々の中に根付き、信仰と思想はどう違うか、この本でよく理解できた。吉本は「マルクスは偉大だが、もう賞味期限が切れかけている。親鸞の思想は千年以上の時を得た今も未来も生き続ける」と評価している。親鸞の思想の中で時間がたっても滅びない肉食妻帯や「死を特別扱いしない」考えは、未来永劫、我々が持って行ける真理である、という。親鸞はいわずと知れた浄土真宗の始祖だが、信仰によって僧侶であったのではなく、理念と思想がたまたま宗教の形をとらざるを得なかった時代であったため、僧侶であったにすぎない。また僧侶であったから浄土門の経典を注釈したのではなく、思想がたまたま仏教の形をとらざるを得ない時代だったから、仏教的であったにすぎない、と吉本はいう。親鸞を理解すれば吉本の難解な思想にも一歩近づけるような気がする1冊。

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