Vol.631 12年12月22日 週刊あんばい一本勝負 No.624


靴納め・グーグル・検診・お漬物

12月15日 けっこうバタバタしている。なんでこうなるのか、よくわからない。本の注文は少ないし、出版依頼も今年の7月頃から目立って減っている。なのにバタバタ、ウロウロの連続だ。身も蓋もない言い方をすれば「お金にならない忙しさ」というやつだ。久しぶりにネット書店を離れ、東京のリアル書店で読みたい本を何点か買ってきた。のどから手が出るほど「いますぐ」読みたいのだが、時間がない。これは想定外。仕事と遊び、健康管理と料理、読書と資料読み、原稿書きと私的ブログ書き、といった暮らしや仕事のジャンルの垣根が消えてしまってせいではないのだろうか。ほとんど意味の違う、似たような行為が、身体の中で同価値になって自分の中に居座り始めているのだ。これは退行現象? それとも理想的な生活の形なの? 自分ではよくわからないが、当分こんな垣根のない生活が続くのだけは確かだ。

12月16日 モモヒキーズの「靴納め」。その年最後の山行をこのように言うのだそうだ。山は秋田市郊外河辺にある岩谷山と筑紫森のダブル。両方合わせて登り2時間弱、下り1時間の小さな山。山麓に「山の学校」があるので、昼はその屋内でとり、温泉に入って、夜は駅前居酒屋で忘年会。家に帰って山道具を整理整頓、着替えて選挙に行き、それでも十分間に合った。忘年会の出席者は10名。いつの間にか増えてしまった。うざい、しつこい、面倒くさい酒飲みがいないのが、この会のいいところ。今年の山は40座。近年の最多記録だ。たぶん来年も同じくらいの数になる予定だ。体重が落ちれば落ちるほど、山は楽しくなる、ということを実感した1年だった。

12月17日 年齢とともに漬物が好きになっていく。居酒屋で一番に注文するのは漬物。冬になると、いろんな方から自慢の漬物をいただくす。カミさんもいろんなところから、うまいと評判のプロの漬物を買ってくる。でも「これはうまい!」というものにはなかなかであわない。先日、「山の学校」のF校長から頂いた白菜と大根の漬物は絶品だった。うす塩で淡白な味わいが野菜の持ち味を引き出していて、延々と食べ続けられる。商品としての漬物は、どうしても保存優先のため保存料を使う。その保存料を消すため塩がきつくなる傾向がある。Fさんのものは自家製なので塩以外の余計な味が加わっていない。レシピを教えてもらって自分でも作ってみたい。

12月18日 東京の三省堂書店では電子書籍端末が紙の本の横で売られていた。紙と電子がどのように「住み分ける」のか興味津々である。もうひとつ、出版界の大問題だったグーグルによる「図書館プロジェクト」。館内の全蔵書をスキャンして電子化し全文検索できるようにするという革命的な事業だ。なにが革命的かと言えば、これが現実化すれば、まず並の作家は食べられなくなり、図書館はもとより出版社も書店も取次も、ほぼ不要になる。とくに印税で食べている作家業は成り立たない。で、日本ペンクラブはグーグルに異議申し立てをしていたのだが、「著者や出版社から要請があった書籍は除外」というところで和解したようだ。ちなみにアメリカの作家団体はまだ反対の立場を崩していない。日頃グーグルには一方ならぬお世話になっているが、このプロジェクトはあまりに「革命的」過ぎて正直なところ、私には善し悪しの判断がつかない。

12月19日 朝起きると世界は一面の雪景色。2日前の青空は奇跡だったのか。時間も金も友人がいなくても、とりあえず青空さえあれば人間は生きていける(ような気がする)。世の中の速い流れについていけなくなった老人としては、せめて山に行く週末だけは青空になってほしい。なのに、毎日が雪かき労働で過ぎていく。週末にはもう体力を使い果たし、ゲンナリしてしまう人生はまっぴらだ。でもこれだけはお天道様まかせ、人知ではどうしようもない。暖かい地方への移住(冬だけでも)という手もあるが、これはお金が絡むからなあ。じっと耐えるしか、我々には選択肢はない。

12月20日 新聞報道でちょっと気になる記事。高速道路での運転席と助手席のシートベルト着用率が秋田県は100パーセントで、だんとつ全国トップらしい。これは3年連続で偶然やフロックではないようだ。知らなかった。さらに、ここからが面白いのだが、一般道や後部座席といったふうに条件のハードルが下がってくると、一挙に着用率は全国平均を下回り、28位にまで落ちてしまう。お決まりの県民性云々と言ったお説教や分析をするつもりはないが、全国の警察とJAF(日本自動車連盟)が毎年実施しているというこの調査、県民性の性向調査には大きな意味を持っているような気がする。大学の先生あたりに県民性と結び付けて再調査してもらいたい。

12月21日 今日は健康診断。2日分の検便もあるのだが出なかった。体重のことを考え、食事制限したのが敗因だ。検診が近づくと1週間ほど前から緊張する。どんな結果がでようとも何十年も再検査なんかしたことがないのだが、なんだかやっぱり自分の悪いところを「数字で」指摘される嫌悪感というのは、なんともいえず、うっとうしい。そういえば昔、町内のドブ掃除の早起きも嫌で嫌でしょうがなかった。それが今では大好きになった。検診も早くこうなってほしいのだが、こればかりは無理か。
(あ)

No624

中国化する日本
(文藝春秋)
與那覇潤

副題は「日中「文明の衝突」一千年史」とある。まだ30代前半の大学准教授の力作。「意外な」歴史記述の連続だが、その都度丁寧に論文典拠を明らかにしている。唯我独尊の説ではなく「最新の学会では常識の学説」であることを読者に念を押しながら論を進めている。著者の学説の骨子になるのは次のようなものだ。「怖い国」「遅れた国」「野蛮な国」と中国を見てしまう癖が日本人にはあるが、歴史的にみればこれは逆だ。中国というのは人類史上最初に身分制を廃止し、前近代には世界の富のほとんどを独占する「進んだ」国だった。だからむしろ「なぜ遅れた野蛮な地域であるはずのヨーロッパの近代のほうに、法の支配や基本的人権や議会制民主主義があるのか、を考えるべき、というのが著者の学説の出発点である。現代民主主義の骨格になっている人権概念の基本は、そのほとんどが中世貴族の既得権益だった。最後まで身分制の残ったヨーロッパという「遅れた地域や時代」に生まれた特権が、実は現在の人権概念の基礎をなしているのである。ヨーロッパ型近代とは、このような貴族の既得権益を、ゆっくりと下位の身分の者たちと分け合っていくプロセスなのだ。しかし中国は宋朝の時代にすでに「近世」に入っていた。その時点で特権貴族はいなくなった。そのため人権概念が育たなかった、というのだ。ここから(宋朝)世界と日本の歴史を読みなおした刺激的な1冊。

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