Vol.632 13年1月1日 週刊あんばい一本勝負 No.625


明けましておめでとうございます

本年もよろしく、お引き立てのほどをお願いします。

昨年は本が売れない1年でした。個人的には毎週毎週、山に登って、料理をつくり、週末をエンジョイしましたが、仕事も遊びも楽しく、とはなかなかいかないことを実感した1年でもありました。
今年は出版の世界ではさらに厳しい年になりそうな予感がします。老兵は「紙と共に去りぬ」なのかもしれませんが、そういった緊張感を持ちながら、日々精進して行ければと思っています。ご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

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12月22日 忘れ物が多い。ちょっと心配だ(それも忘れてくれるといいのだが)。ここ1カ月だけでも山でストックを忘れ、ある場所では弁当を置き忘れてきてしまった。講演先で資料やメモの入ったファイルを置いてきたり、録画されていないDVDをプレゼントに贈りつけたことも。山仲間にはものすごい忘れ物の達人がいる。今日こそは大丈夫だと念入りに確認しても足りず、自分の荷物を他人の忘れものと勘違いして渡してしまった猛者だ。いくらなんでもここまではいっていないが、なんとなく怖い。こうして年をとっていくのだろうか。

12月23日 角館まで新幹線で往復する間、電子書籍端末コボを持ち込んで「源氏物語」を読んだ。ほんのちょっぴり読んだだけなのに、中世の文学を電子書籍で読むとやけに新鮮。青空文庫で購入したほぼ無料の与謝野晶子訳。旅先で読書端末は確実に「使える」。旅先の心象風景に合わせて読みたい本を選べる、というのも魅力だ。これじゃ紙の本が売れなくなるわけだ。今日は「靴納め」が終わったのに未練たらたら、今年最後の山行。県南の保呂羽山の雪山を歩いてくるつもり。ほんとにこれが最後、うそは言いません。って誰に謝ってるんだジブン。

12月24日 スウエーデンで「世界一臭い料理」といわれる缶詰シュールストロミングを頂いた。もう発酵が進んでパンパンに膨らんだニシンの生缶詰だ。いつ爆発してもおかしくない状態なのは、ニシンを無殺菌のまま塩で漬け密封しているので発酵を続けるからだ。そのため日本では缶詰と認められず、もちろん爆発すると臭いので飛行機内への持ち込みも禁止。もらうのも勇気がいる食品だが、頼りはSシェフ。彼なら何とかしてくれるはず。そう信じて、もらってきた。Sシェフと知り合う前にももらえる機会があったのだが、そのときは丁重にお断りした。処理(食べる)できる自信がなかったからだ。ただいま危険食品は静かに、わが倉庫に眠っている。

12月25日 漫画を読んだことはないが、テレビ・ドラマの安倍夜郎「深夜食堂」をDVDで。ドラマはともかく、挿入歌がいい。早速アマゾンで買い聴いている。福原希巳江「おいしいうた」と鈴木常吉「ぜいご」というアルバムで、どちらも哀切で透明感のある、いい歌だ。そういえば最近「いい歌だな」と思うのは、ほとんどが映像のバックに流れたもの。TV番組「イタリア、小さな村の物語」の挿入歌で、オルネラ・ヴァノーニの歌のもそうだった。ここ数十年で聴いたなかで最も心に響いた歌が彼女の歌だった。日本でもメジャーではない小さな自主製作系映画には作品がイマイチでも音楽のいいものがよくある。エンド・クレジットを注視して歌手名を検索、ネットでアルバムを買う。そんなパターンが定番になった。まだまだ知らない優れた歌手がいるんだろうな。

12月26日 寒波襲来。朝一番で「雪掘り」。なにはともあれ玄関口を確保。5m先も見えない猛吹雪だが、夜は忘年会がある。秋田ではどんな大雪でも、それが理由で飲み会が中止ということはない。りっぱなお国柄である。今日は秋田大学新聞部と国際教養大学雑誌部の合同忘年会。若者の飲み会にノコノコ年寄りが参加する理由は実はこの2つの会を結びつけたのが、なにを隠そう私なのだ。いや自慢しているわけではない。若者は自分の寄って立つ位置がよくわかっていない。そこのところを私が背中を押しただけ。楽しい飲み会になりそうだが、年寄りは会場の駅前居酒屋まで凍死せずにたどりつけるか、そっちのほうが心配だ。

12月27日 雑用に追われているうちに年も押し迫ってきた。押し迫ってきても別に困ることはないのだが、やり残したことがある。それでも毎日やることがあり、そのことにあたふたしているうちに1日が過ぎていく。ここ数日の大雪の影響で雪に閉じ込められている。見ようによっては危機的な状況でもあるのだが視点を変えて大雪を「遊び場」にしてしまえば、とりこし苦労はかなり減る。積極的に外に出て雪を家来にする。そのために朝から車の「雪掘り」作業だ。

12月28日 鈴木常吉のアルバム『ぜいご』を毎日聴いている。いい歌だが「ぜいご」の意味が贅語(余計な言葉)なのか魚の尾ひれについている硬い骨なのか、その詞からはわからない。アルバムの最後に包丁を持った魚屋姿の本人が写っているので、やっぱり魚の骨だろうな。酒蔵「天の戸」の森谷杜氏から来年のカレンダーが送られてきた。いつも楽しみにしているのだが、今回から写真が変わった。佐藤忠明さんという湯沢在住の写真家の作品で、モノクロのダブルトーンがすごくセンスを感じさせる。写真家に会ってみたくなるカレンダーだ。例のニシンの缶詰シュールストロミングだが、19歳の大学生にこの話をしたら「先日ボク食べましたよ」とさりげなくいわれた。缶切り風景もデジカメで記録していて、いやはや世間は狭い。この缶詰のことも頭から離れない。

12月29日 魔がさしたとしか思えない。大掃除を終え3時には事務所から人がいなくなり、お正月休みスタート。夕ご飯を食べた後、事務所でDVDを観ていたら開放感からかビールが飲みたくなった。次にウイスキーに手を出し日本酒まで呑みはじめて、止まらなくなった。こんなことはめったにない。DVD2本を観終わる頃にはベロベロになり近所を千鳥足でフラフラ歩いていた。どこをどう歩いたか覚えていないが、朝目覚めたら強烈な二日酔い。今日の夜は友人と2人だけの忘年会が待っている。6時間ほどで何とかこの二日酔いを一掃する必要がある。

12月30日 高校の同窓会から「会員名簿」発行の案内が届いた。大人げないようだが個人的にこの手のことに全く関心がない。だから同窓会も欠席ばかり。中学ならまたちょっと興味があるが、なぜか高校になると生理的にダメだ。昔を振り返って懐かしがる趣味はないし、人の欠点や好悪の感情がはっきりしてくる年頃なので若者特有の気持の屈折が今も生きているのかもしれない。案内で激しく心を動かされたのは「住所不明氏名者」リスト。約50名の不明者の名前を一人一人チェックしてみたら約3分の1の顔を思い浮かべることができた。この半世紀近い年月を、この人たちはどんな人生を歩んできたのだろうか。同窓生に興味はないのに不明者の人生には興味がかきたてられる。

12月31日 今年の年末年始はどこにも行かず、ずっと家か事務所にいる(仕事始めは7日)。そのための本を10冊ほど用意した。岡田斗司夫『「いいひと」戦略』、斎藤環『世界が土曜の夜の夢なら』、津島佑子『ヤマネコ・ドーム』(群像)、エリック・ワイナー『世界しあわせ紀行』、山本幸久『展覧会いまだ準備中』といったあたり。今年の読んだ本のベストワンは『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』かな。『中国化する日本』もビックリ。三木卓『K』も心に残る。『坊ちゃん忍者幕末見聞録』は庄内弁の時代小説でよかった。映画はちょっと古いけど『トスカーナの贋作』だろうな。これはDVDじゃなくてテレビ番組で放映されたもの。さてさて来年はどんな作品と出会えるか。それでは、みなさん、よいお年を。
(あ)

No625

北の無人駅から
(北海道新聞社)
渡辺一史

寝る前に渡辺一史著『北の無人駅から』(北海道新聞社)を1篇だけ読む。800ページ原稿用紙1600枚の大作で、6つの北海道の無人駅の物語がおさめられている。1篇だけでも100ページある。いきなり両足のない漁師が登場し、狼と暮らす夫婦がさりげなく語り出す。こうした濃すぎる登場人物も、渡辺の冷静で抑制のきいた文章で、ちょうどいい味わいを醸し出している。それにしても北海道のどこにでもある無人駅を取材しただけの本が地元新聞社から発売され一年間で4刷。サントリー学芸賞や早稲田ジャーナリズム賞をすでに受賞している。無人駅を入り口にその村の抱えている問題を浮き彫りにした手法は見事だ。駅の物語なのに北海道最新コメ事情が語られ、オホーツクの流氷の話やニシンのゴールドラッシュの時代が、当事者たちの聞き書きで生き生きとよみがえる。著者は、強烈な自己主張を繰り返す障害者とボランティアたちの深層心理を描いた秀作『こんな夜更けにバナナかよ』(北海道新聞社)で大宅ノンフィクション賞をとった札幌在住のフリーライターだ。あの本も感動的だったが本書も負けてはいない。毎日1篇ずつ読んで、ちょうど1週間で読了した。その後さらに1週間、読後の余韻が後頭部に残った。

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