Vol.643 13年3月16日 週刊あんばい一本勝負 No.636


今年も春に雪の残る家

3月9日 ずっとあったかく、今日は風と雨。夜半の風はものすごかったが、雪が伴わないと怖さも半減。ここ数日、道路のアイスバーンをツルハシでコツコツ砕く作業が各家々で盛んだ。この音が聞こえてくると春の近さを感じる。寝床でその音を聞きながら、昔はあの氷砕きはツルハシではなく身長ほどもある太い鉄棒で、それで地面をつついて割っていたことを思い出した。そういえばあの鉄棒、最近どこでも見かけないなあ。売っていないのかしら。県南部に比べれば雪の少ない秋田市では使用する習慣がなかったのかも。

3月10日 今日は河辺にある「一の沢山」という地図にない山(登山道もないので冬しか登れない)に初登頂の予定だったが中止。北海道付近の低気圧の影響で、猛吹雪が予想されたからだ。すでに五能線は止まっているし、県内一部の道路の寸断もではじめたようだ。風雪波浪注意報も出ている。昨夜リーダーから中止メールがあったらしいのだが、休みの日はPCは見ない。ケータイもどこにあるのか所在不明なので小生にだけ連絡とれず困ったらしい。すみません。ケータイ不携帯なんだからダメですねえ。今朝はすっかり山に行く用意をしていた。そこに朝リーダーが家まで来てくれて中止が判明した。いやはや申し訳ない。さて今日一日どうして過ごそうかしら。

3月11日 あの地震から2年がたった。なんともいえぬ複雑な気持ちだ。今週は新刊2冊ができてバタバタしそうだ。転勤になる友人記者の送別会もある。最近けっこう外で飲む機会が多い。昨日も山行が中止になったため、友人と2人で事務所宴会。ダイエット中なのにダイジョウブ? という声も聞こえるが、飲む前にサラダなどで満腹感があれば暴飲暴食はかなり防げることがわかった。昨日もモッツァレラ・チーズに青い野菜をたっぷり入れカプレーゼを作った。が、オリーブ・オイルが安物だったせいで夜中に胃もたれ。Sシェフから片栗粉を使うカキや鳥のムニュエルをいくつか教えてもらった。これは今日の夕食から早速使えそうだ。

3月12日 昼に散歩がてら駅前喫茶店に入る。そこで1時間ほど読書するのが慣習になった。集中して本を読める「理想の席」をようやく見つけたのだ。「タリーズ」の一人掛けソファ―席。外の風景が見えるから圧迫感や閉塞感がない。客の姿を見なくて済むのが、なによりありがたい。「スタバ」は旅行客や女子中高生ばかりでよそよそしい。「ドット―ル」は暗くてタバコ臭く場末感漂っている。パン屋を兼ねた「ナントカ・フランセ」はオバサンばっかりで、雑音が多くかまびすしい。それらをはしごして最近出た結論が「タリーズ」なのだ。でもここは混む。さらに注文品はレシート番号を大声で読みあげてから出すシステム。この声が大きくてうざったいのが欠点だ。それでも女子従業員は教育が行き届いていて、子供っぽくない。行くと「いつもありがとうございます」とあいさつされた。好感度が長く続いてくれればいいのだが。

3月13日 いまのところ小生の最も若い友人・横山翼君は1993年生まれの19歳。国際教養大の2年生で現在リトアニアに留学中だ。出身は讃岐で、秋田の稲庭うどんは「ソーメンでしょ、あれは」といいはる。趣味は登山、落語鑑賞、歴史小説。将来はジャーナリストになりたいそうだ。尊敬するのは故郷出身の元総理・大平正芳。彼の「リトアニア留学日記」の連載が来週あたりから本HPではじまる。乞うご期待。で、2番目に若い友人である秋田大学H君は22歳。今日メールが来て、新聞社就職面接の小論文を添削してほしい、という。ま「友人」だからしょうがないか。

3月14日 なんとも不思議。今日の朝いつものように体重を測ったら昨日より1キロ減。昨夜は転勤する新聞記者の送別会でたっぷり酒を飲んだ。なのに二日酔いの朝はいつも体重が落ちている。これはいかなる生理的理屈によるものなのか。で、さらにその翌日に計ると飲む前の体重より、ちゃんと増えているのだ。身体の中ってどうなってるの? というわけで体重はいまだ順調に落ちているのだが、便通が極端に悪くなった。痩せれば身体のいろんな機能がスムースに動き出すと信じていたのだが、便通はまったくの想定外だ。

3月15日 予想通り体重は13日朝の飲み会の前日に戻っていた。飲んだ翌朝より1.5キロ近くも増えている。がっくり。腹立ちまぎれに玄関前アイスバーンをツルハシで割る作業に熱中。息が切れた、苦しい。持続力がない。それにしても鉄板のようなアイスバーンだ。ツルハシも歯が立たない。家の北側に位置し一日中陽が当らない。町内でもっとも最後まで春の来ない場所が、我が家だ。今年はその汚名を返上したかったのだが、時すでに遅く、今年も「春も雪のある家」の汚名は雪げなかった。
(あ)

No636

吉本隆明という「共同幻想」
(筑摩書房)
呉智英

「吉本を読んでいなくても面白い!」という帯のキャッチがおかしい。帯の裏は「吉本を読んでなくともよく分かる!」だ。本好きの心(コンプレックスを含んだ)をつかむうまいコピーだ。私自身、吉本のいい読者ではないから、この帯コピーにうれしくなって読みはじめた。これまでも「老い」や「生き方」「親鸞」などに言及したエッセイ本は何冊か読んだことがある。でも「思想家」として書かれた本は1冊も読んだことがない。読もうとしたが数ページで意味が分からず辞めた。吉本が亡くなったとき、メディアは「戦後最大の思想家が亡くなった」と報じた。戦後生まれなのに戦後思想界の巨人という人物の本を理解できない。これはかなり問題ではないのか、と恥ずかしかった。世界の小説家である村上春樹の小説を、日本人であり同時代人でもある自分が(それもそこそこの本好きを自認しているのに)ほとんど理解できない、というのに似た感情だ。小林秀雄の本もダメだった。この人についても吉本同様、当たり前のことを難しく言ってるだけではないのか、と著者は一刀両断だ。で、こちらはひたすら溜飲を下げることになる。「よくわからんが、すごい」という領域は確かに存在する。そこの部分をうまく言語化して、光を与えてくれたのが本書だ。いつもながら著者の勇気には敬意を表したい。

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