Vol.644 13年3月23日 | ![]() |
漬物・白鳥・花粉症 | |
3月16日 友人の大学生のH君の就職用小論文の添削をしている。新聞社の面接用文章だ。突っ込みどころはいくらでもある。しかし自分が20前後の時、こんなちゃんとした内容の文章が書けただろうか、とも思う。添削しながら考えた。若い人の稚拙な文章を直すのは簡単だ。でも自分が面接官の立場だったら、H君の荒削りな文章と、すっきりソフィスケートされた私の直しの文章と、どちらを選ぶのだろうか。直しの入った文章は若者らしさも、面白みもない、「正しい」小論文だ。これでいいのだろうか。企業にとって「如才のない文章を書く若者」は、いまも必要なのだろうか。生まれて一度も就職経験のない私には、よくわからない。 3月17日 今日は気持のいい山歩きだった。太平山前岳を目指してひとり歩き始めたのだが、あまりの青空に背中を押され、中岳まで歩いてしまった。久しぶりに本格的な登山で、いまは心地いい筋肉痛だ。山は荒れるもの、と決めているので青空の下を歩くのは「今だけだよ」と、思わぬプレゼントをもらった気分になる。こんな日は、太平山は広小路並みの混雑だ。そんななか、ジャラジャラとクマ鈴を鳴らしラジオまでつけて登る人もいる。冬眠中のクマを起こしたいのだろうか。他人を不快にしたいという確信犯なのだろうか。いや、顔をみるとわかるが自分のこと以外何も関心がない人たちだ。他人のことなど一切考えていないのだ。 3月18日 雨の日々だが、土砂降りでも散歩はする。雨は山で慣れている。山用のレインウエア―が大活躍する。たまたま駅中書店をのぞいた。上品そうなご婦人が雨にぬれたバックを堂々と本の上に置き週刊誌を物色中。よほど注意しようかと思ったが、やめた。怪訝な顔をされるに決まっている。街を歩いていても、横断歩道を渡る私に車は減速しようとしない。狭い道路を3人横並びでふさぐ中高生の子供たちにも腹が立つ。気分転換のために外の空気を吸いに出たのに腹の立つことばかりだ。文具ひとつ買うにも、店員はこちらの質問のたびに「お待ちください」と奥に引っ込んで訊きに行く。けっきょくは、こうしたマナーや知識を、若い世代に丁寧にパスすることを怠った、私たちの責任なのかもしれない。 3月19日 「履き替えて 足のかろさよ 春の道」――友人(先輩)からメールで句が届いた。散歩の靴をスノトレからスニーカーにはきかえた雪解けの喜びが簡潔に表現されている。この句に背中を押されて、今日は朝から服や靴や押し入れ類の一切合財を、冬から春モードに模様替えした。万年雪とヤユされる我が家の玄関前の根雪もすっかりとけた。今日の散歩は私も冬靴からウォーキングシューズ(それも新品)に履き替えて行く予定。もうこれだけでいそいそと心弾む。今週に入ってから朝晩、北に帰る白鳥たちのガーガーと汚い鳴き声がうるさい。本当にうちの真上が白鳥の北帰行のルートなのだ。 3月20日 駅前デパートで100g170円の白菜漬けが売られている。これが好物で、よく買う。白菜一株は2キロ前後の重さがあるから、500グラム買ってもかなり高い。そこで、これとそっくり同じ味の漬物ができないか、Sシェフの指導を受けて現在試行錯誤中だ。白菜の重さをきっちり計り、調味料の配分を工夫し、最近はかなり近い味まで再現できるようになった。でもこれはビギナーズラック、同じようなレヴェルをキープするのは簡単ではない、とSシェフにはくぎを刺された。白菜漬けがうまくなれば秋の小ナスにも挑戦するつもりだ。ちなみに、漬物作業は家でやるとカミサンがあれこれうるさいので事務所の資料保管庫の隅で隠れてやる。来客はいやおうなく味見させられるのが義務である。 3月21日 冬の間、窓をあけることはめったにない。今日は朝から好天、換気しようと窓をあけたとたん、くしゃみ、鼻水が止まらなくなった。これが花粉症ってやつか。この時期になると山行を中断する人もいるから、手放しで春の陽気だと喜んでばかりもいられない。小生も人並みに花粉症の仲間入り。仲間外れよりはちょっぴり嬉しいカモ。週末の今夜は友人たちが事務所に集い食事会。牡蠣蕎麦とスゴエモン(魚)という、ちょっと普段は食べられない珍料理をSシェフが披露してくれる。もう朝からコーフンでドキドキだ。小生も得意料理(?)の白菜漬けと卵焼きとカンテン(デザート)をお披露目の予定。昨日から時間をかけて仕込みは万全。でも暴飲暴食だけはゼッタイしないゾ。 (あ)
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高く手を振る日 (新潮文庫) 黒井千次
抑制の効いた初老の恋を清潔感豊かに描いた小説だ。たまたま出張中の電車の中で読んだのだが、最後のラブシーンでは思わず涙ぐんでしまった。ラブシーンといっても自宅ソファーでもつれ合うようにキスしあうだけなのだが、もうこれがたまらないほど官能的で、読後の余韻を残す。著者は、文学史的には戦後文学派のような大きな社会的問題をテーマにすることはない。日常のごく普通の日々を描く作家といわれている。現代の文学では、この普通を描くことほど難しいものはない。数年前、偶然手にしたエッセイ集『老いのかたち』が印象に残った。「型をうしなった現代の老人」について言及していた。それがよく、本書も手に取ったのだが、小説ってやっぱりいいですね。年齢相応に老いて行くのが難しい現代。見栄えや若さ、体力ばかりが尊重される時代。歳にふさわしい老いの「生の形」が見失われようとする今、こうした「行き止まり」を意識した男女だけが理解できる、出会いと別れは切なく美しい。人を深く感動させる。「一日 夢の柵」から始まって、代表作といっていい連作短編集「群棲」、「たまらん坂」「日の砦」「石の話」……もう黒井ワールドにどっぷり浸っている。しかし、昭和を生きた作家の文学のほとんどが、いまや講談社文芸文庫でなければ読めないようになってしまった現実をどう考えるべきなのか。
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