Vol.646 13年4月6日 | 週刊あんばい一本勝負 No.639 |
のどがいがらっぽい、油断初めの4月 | |
3月30日 書名で衝動的に本を買ってしまう。石田千『役たたず、』(光文社新書)。見事な書名で、中身も書名にまけず面白かった。読点がこんなに決まった本というのは珍しい。「役たたず」というタイトルなら汎用、陳腐、自己愛プンプン、プロのエッセイ集としては失格だ。人気作家ともなればもう一工夫必要だ。で、この読点がひとつ。信じられないほど中身の空気感をうまく表出した書名になった。若い女性漫画家の北国への紀行文が『逃北』(文藝春秋)という題名なのも可笑しい。これもついつい買ってしまった。まだ読んでいないのだが、この書名だけで間違いなく面白い本なのは証明されたも同然。書名って大事だけど、これが難しい。 3月31日 地図にない山、というのがある。秋田市の「一の沢山」だ。途中まで木材の運搬道のようなものはあるのだが、頂上付近はやぶで覆われ道が消える。そのためやぶが雪に隠れてしまう冬場しか登れない。その山に登った。杉の植林地なのだが、急峻やビューポイントもあり登山向きのいい山だった。冬しか登れない、というシバリがあると、ありがたみも増す。山頂でランチ、まるで北アルプスのように白きたおやかな大平山系の山並みを遠くに見ながら、下山。めったに行けない山に行けた余韻に、まだちょっぴり酔いしれている。 4月1日 夜中に何度も咳で目が覚める。のどがいがらっぽい。のどの奥がむずかゆい。昨日の山行後、湯冷めしたようだ。山に登るようになって寝込むような大きな病気はしていない。急いで風邪薬を服み、栄養剤をゴビゴビ。外は青空だがダウンジャケットを着て身体を冷やさないように温めている。根性で治すつもりだ。根性という言葉は嫌いで、若いころから使ったことのない言葉だが、病気だけは別。病は気から、だから、ココが根性の見せ所。 4月2日 薬を服んで昨日は一日中横になっていた。少しは楽になったが、まだのどの奥がいがらっぽい。もう使わないと思っていた山用ダウンジャケットが役だっている。その風邪の元凶となった「一の沢山」だが、地図にない、というのは間違いだと指摘を受けた。正確には「地図に名前の載っていない山」と表記すべきだったのだ。謝りついでに「大平山」もダメ。点の入る「太平山」が正しい。かさねがさね申し訳ない。今日も一日、外に出ないでおとなしくしていよう。調子に乗るといいことはない。 4月3日 ビートルズに「フール・オン・ザ・ヒル」という曲がある。直訳すれば「丘の上の馬鹿」。身も蓋もない。ポールが自分のことを自虐的に歌った曲だと思っていたが、これは地球自転説のガリレオ・ガリレイのことをうたったものなのだそうだ。平安寿子著『心配しないで、モンスター』に書いていた。9つの音楽をテーマにした連作小説集だ。短編がどこか一点で次の物語と痛底し、基本的には独立した別の物語が連なっている。こうした小説の形式が好きだ。女性作家がこの手の形式を好むのは何か理由があるのだろうか。のどがいがらっぽく、昨夜は8時には寝床に入った。ところが読みはじめた平の、この連作短編集がめっぽう面白く、けっきょく12時近くまで寝られなかった。朝の目覚めはすっきりだが、こうして仕事場にいると、身体はまだ少し熱っぽい。 4月4日 朝からグチャッグチャ鼻水が止まらない。昨夜は事務所宴会。換気のため窓を開けたままだったので花粉が入り放題だった。しまった、そこまで考えなかった。昨夜のシャチュー室宴会参加者は10人。バッケや稚鮎のテンプラと蕎麦の会。椅子が足らないので立食形式だったが抵抗はなかったようだ。酒や料理は自分でとりわけ、後片付けも男どもがちゃんとやる。酒飲みオヤジ天国秋田ではなかなか馴染みにくい「宴会」だが少しずつ板についてきた感じもする。ホスト(私)は場所と食器を貸すだけ。家ではなにもしない亭主が、ここでは率先して皿を洗う。 4月5日 日常的に車を運転することがほとんどない。市内は徒歩だし、車は週末山用といって過言ではない。時たま、錆びつかないよう遠出して東北美術館巡りでもしてみるかと「夢想」することがある。今の時期なら青森は「棟方志功生誕110年記念展」、盛岡なら「シャガール版画展」、仙台には「若冲」が来ているし、井上ひさしの資料特集展というのも開催中。酒田では土門拳賞受賞作品展をやっているし、福島では横尾忠則ポスター展も観たい。車でこれらをすべて見て歩くと3日間は確実に必要だ。ガソリン、ホテル代もバカにならない。で、けっきょく夢想のまま終わるのだが、たぶん東京なら1日でこれらが難なく観られる環境が整っている。東京がうらやましいわけではないが、芸術や文化と接するために多大なコストを要求される地理的環境というのは、ちょっと問題だよねえ。 4月6日 このHPの連載「フタコブラクダの歌」に、中国にスパイとして入り込んだ日本人が南京豆の食べ方で身元がばれてしまう話があった。そこで、ある本で読んだことを思い出した。戦争が終わった後、その国に兵士を残し次の戦争のためスパイ活動を続けさせるのは軍事戦略としては常識。それを「残置諜者」と呼んでいた。陸軍中野学校出身の小野田寛郎が残置諜者の代表的な例だ、というのだ。映画のなかだけだと思ったが、あらゆる戦争の後に、実はスパイだけは国に帰らず、その国の人間になって有事に備えている。これってけっこう怖い話だなあ。 (あ)
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