Vol.652 13年5月18日 週刊あんばい一本勝負 No.645


ステテコ・賞味期限・大名行列

5月12日 なんだかちょっとリバウンドな気分。体重が減らないばかりか、徐々にわずかずつだが増えている。まずい。暴飲暴食しているわけないのに増えているのは便通が悪いから。禁じ手なのだが今日、便秘薬を服んだ。これを服むと効果テキメンだがクセになる。服まなければ出なくなるから悪循環なのだ。避けたかったのだが背に腹は代えられない、って例えが違うか。ダイエットに対しては、とやかくいう外野が多いが、ずっとデブを背負ってきた人間のコンプレックスというか、うっとうしさのようなものを理解する人は少ない。デブって本当にいろんな悩みを抱えているのだ。そこのとこ、ちょっと、わかってほしい。今日の鹿角の五ノ宮岳、いい山だったなあ。

5月13日 今日は「ステテコ記念日」。生まれて初めてステテコを穿いた。去年ユニクロの派手なステテコを3本買っていたが、実は勇気がなくてはけなかった。いや勇気というか、穿く意味がよくわからなくて、と言ったほうが正確か。件のモモヒキの驚くべき健康的効用に目覚めてから、「いつかはステテコにも挑戦してみよう」と心に期していたのだが、夏場にもう一枚下着を重ねるのもなあ、と躊躇していた。落語でステテコの言葉の由来は知っていた(辞書では中途半端な説明しかしていない)。もともとは高座で踊る際の落語家の見栄えから考案されたモモヒキの変形なのだが、これも病みつきになったらどうしよう。

5月14日 賞味期限のきれた食品を捨てられない。カミさんも少々カビの生えたものなら洗い流して食べてしまうタイプで、その影響も少なくない。事務所のなかには賞味期限の切れた食品や薬品がいっぱい。山行の度に携帯し消費に努めているのだが、なかなかなくならない。そこで昨日、思い切って食品のあらかたを処分。今日は薬品類を捨てる予定だ。そんなの当たり前だろう、と言われそうだが、昔からの癖だからすぐにはなおらないのだ。仕事をはじめて40年、たまりにたまった賞味期限切れのゴミ(書類や手紙、文房具や備品の類)に関しては、ここ2年ほどかけ整理中。毎週水曜日、事務不要品を専門に収集してくれる業者さんが来てくれる。もう2年以上捨て続けているのだが事務ゴミが途切れることはない。早く身軽になりたい。

5月15日 長く本を作る仕事に携わってきたが、ここ数年で世間の「本」に対する意識はすっかり変わった。地元新聞には毎日のように、どこかの地域の普通の人たちが、まるで野菜を作るかのように本を作った、というニュースが載っている。誰でも簡単に「本」は作れるようになったのだ。売る意志などはなっからないから、背伸びの必要はない。例え1冊でも、「本を出した」という事実が重要なのだ。ほんの少し前まで、「本」は特別なもので、プロ(私たちですね)に相談してから作るパターンが一般的だった。今はそんなケースは皆無。この現象は何かに似ている。出版社は着物を着なくなった時代のゲタ屋さんとそっくりだ。いやいや個人経営の喫茶店状態かな。 レコードからCD、そしてネット配信へとシフトしてきた音楽業界と同じ道をたどるのは、どうやらまちがいないようだ。

5月16日 いつのまにか5月も半分が過ぎてしまった。何にも仕事してないのに時間だけが猛スピードで過ぎていく。読みたい本は溜まり続け、ほっとかれたまま。時間はあるのに本を読む集中力が生まれない。やらなければならないことはグズグズ理由をつけ先延ばし。そのくせ気ばかり焦る。集中力が持続するのは「食べる」ことだけだ。夕食は毎日、蒸し野菜中心。TVCMにはだまされないが、「蒸し鍋ラーメン」はけっこういける。ヨーグルト(Sシェフ製)も山菜も、最近は食卓の定番だ。午後3時を回ると夕食のことばっかりを考えている。なにやってるんだジブン。

5月17日 大名行列に関する本を読んでいたら、当時の最大の浪費というか権威的行列の代表として「お茶壷道中」のことが書かれていた。京都の宇治茶を将軍に献上するため、千人近い侍が行列したというのだ。童謡「ずいずいずっころばし」の「茶壷に追われて とっぴんしゃん」は、この行列を皮肉ったもの。「とっぴんしゃん」とは行列が来ると面倒なため、庶民は家の戸を閉め外に出なかった擬音表現。茶壷道中は吉宗の倹約令で廃止されたが、大名行列に殿様以外のものが運ばれていたとは、知らなかった。意味もわからず「茶壷に追われて とっぴんしゃん」なんて歌っていたが、教えてくれた大人たちも意味がわかっていたのだろうか。ネットで調べると、この童謡には「性的」な意味もあり不純異性交遊の歌だったという説もあるようだ。
(あ)

No645

キャパの十字架
(文藝春秋)
沢木耕太郎

NHKのTVドキュメンタリー「運命の一枚――戦場写真 最大の謎に挑む」を、たまたま観た。キャパの世界的な戦場写真「崩れ落ちる兵士」は本人が写したものではなく、その映像もやらせだった、という内容で、なかなかショッキングなものだった。原作にあたる沢木耕太郎の標題作を読んだのはその後だ。テレビの種明かしを観た後の読書で、なんとも釈然としなかったが、本も十分面白かった。沢木の作家としての力だろう。それにしても本が売れているさなかに、まったく同じ内容の謎解きをテレビで見せてしまうのは「異常」というか「反則」行為だ。これは本の「あとがき」を読めばわかるのだが、活字だけではうまく伝わらない「真実」を、わかりやすい最新映像技術で確認してほしい、という沢木氏側の要望から作られた番組だったようだ。ネットでは激しい沢木氏や番組批判が流れていた。キャパの写真は、ヨーロッパではずっと疑われていて、なにも沢木の「新発見」ではない、という類のものだ。その批判も的外れではないが、テレビを見ただけで肝心の本を読んでいない批判が多いのが気になった。ネットブロガーの底の浅さというか、少なくとも本も読んでからの批判であれば、聞く耳を持てるのだが。映像だけでは誤解を受けるディテールが、本書のなかには克明につづられている。

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