Vol.653 13年5月25日 週刊あんばい一本勝負 No.646


今週もまあいろんなことがありました

5月18日 久しぶりの好天。今日は5時起きで岩手県にある「なめとこ山」に登る予定だったが、行って見ると林道のゲートが閉まったまま。通行止め、1週間早かった。花巻市内で前から行きたかった産直「だぁーすこ」で買い物、だんご屋を冷やかし、これまた賢治でおなじみの物見山で昼を食べ、帰ってきた。花巻市内は、店といい商品名といい宮沢賢治一色だ。賢治最中なんて、なんだか美味しくなさそう。これもまあ考えようによっては秋田県人が何にでも「こまち」とつけるのと同じ。エラソーに批判する権利はないのだが、個人的には賢治の童話はよく意味がわからない。とくに「なめとこ山の熊」はなにがどうなっているのやら、何度読んでも意味不明だ。

5月19日 いつのまにか下水整備がすすみ近年は町内の下水掃除が年1回になった。今日はその日だ。町内一の若手(?)である小生が側溝ブロックの持ち上げ係り。この日ばかりはどんなことがあっても休めない。参加しなければ作業が進まないのだ。昨日に続いて今日もまた5時起き。下水掃除が片付いたら、そのまま太平山奥岳登山だ。雨はどうやら持ちそうだ。御手洗から上はアイゼン着用の直登。この時期だけのルートだ。なじみの夏道を恨めしげに横目に見ながらの3時間。たっぷりと汗をかいて気分爽快。下水掃除がいいストレッチ効果をもたらしてくれた。昨日も今日も、とりあえずは事務所や仕事から離れ、ストレスとは無縁の2日間だった。

5月20日 太平山奥岳はけっこうハードだったが、気持のいい山行だった。いまも体中に心地よい疲れがじんわり残っている。山を歩いている仲間から見せてもらったのだが、スマホのアプリが急速に進歩しているのに驚いた。100キロ以内ならGPS機能で山の名前が、スマホを向けたと同時に表示される「山名アプリ」とか、スマホで撮った山の花の名前を、その場で確認できる「花名アプリ」とか、一昔前まで10万円近くした携帯GPSとほぼ同じ機能をもった「地図系アプリ」が、いとも簡単に無料で入手できるのだ。出張に行く時しかケーターを持たないのだが、なんだか山に行く時だけはスマホを持って行きたくなった。本末転倒もはなはだしいが、それほどビックリするようなアプリがいろいろあるようなのだ。いっそ知らないで死んでいったほうがよかったのかも。

5月21日 東京で学術系出版社を経営するMさん来舎。久しぶりに業界の深い話をいろいろ聞かせてもらった。事務所から夜の街に出て、最近よく使っている比内地鶏屋さんで食事。おしゃべりが弾んで2次会。ここも最近よく行く川反のバーで洋酒をけっこう飲んだ。店を出たのは深夜2時。またしても二日酔いなのだが、今朝体重を測ったら昨日より1キロ減。いつも不思議なのだが、洋酒系をのんだ翌日はなぜか体重が落ちている。これはどんな生理的メカニズムによるものだろう? ま、明日になればちゃんと元に戻っているのだが、朝の体重減は気分がいい。今日も1日がんばるぞ、という前向きな気持ちになれるからだ。単純だね。

5月22日 毎晩、寝床で手をしびれさせながら重い文庫本の谷崎潤一郎『細雪』を、ちょっとずつ読んでいる。改行のほとんどない、句読点も少ない、小さな活字を追うのは苦痛だが物語の面白さに曳きずられ半分まで読み進めた。面白いといっても物語は4姉妹のうちの雪子(三女)と妙子(四女)のお見合いと恋愛騒動の2つだけ。それしかまだ「事件」は起きない。それだけのことに原稿用紙何百枚も費やす、この執念。現代人の理解を超えている。それにしても登場人物たちの使う関西弁の美しさにはうっとり。吉本のお笑い芸人によって植えつけられた「関西弁の下品さ」は、この本を読めば完膚なきまでに粉砕される。大阪から東京に転勤になる長女の夫の引っ越し風景は、ほとんどいまの海外転勤を思わせる物々しさ。いたるところに時代を感じるが、古臭さはまったくない。

5月23日 秋田大学新聞部が「秋大新聞を追え」という特集を組むので、取材を受けた。学生時代のことはできるだけ思い出さないようにしているのだが(恥ずかしいから)、彼らの取材によると、新聞は昭和46年から47年の2年間に3号のみ発行されている。今と違い学生自治会の一機関として全学選挙で編集長が選ばれる仕組みで、の前後は、民青(共産党系)VS反民青のイデオロギー対立で、新聞発行は確認できなかったようだ。ジェジェジェ、その3号はまちがいなく小生が編集長として発行したものだ。その新聞に何を書いたかまで実は克明に覚えているのだが、顔から火が噴き出しそうなので、記憶からは意識して消していた。今も実物を見るのはごめんだが、取材にはちゃんと協力してやるつもりだ。長く生きていると何があるか分からない。 

5月24日 毎日、駅中を通過して事務所まで戻ってくるコースを散歩するのだが、最近は腹の立つことばかり。駅構内の大型テレビで「あんべぇいいなあ」という、あの秋田県観光キャンペーンの歌がエンエンと繰り返し流されている。語感が汚く品がない。方言として豊潤な意味があるわけでもない。心なごませる安定感や脱力的ユーモアさえ皆無、嫌悪感だけがヒートアップする。さらにポポロードでは集団で威圧するように革新系政党が署名を強制し、歩く人たちをドーカツする。道ぐらい自由に歩かせろ。いたるところに無分別に貼られたポスターはセンスのカケラもない。金をもらったのでしょうがなく作ってみました風のものばかり。景観を汚す役割しかはたしていない。なにもない、静かで落ち着いた、大人の駅でいいじゃないか、別に。
(あ)

No646

役たたず、
(光文社新書)
石田千

書名だけで衝動的に買ってしまった。書名は見事としか言いようがない。いやいや中身も書名にまけず面白かったのだが。身辺雑記エッセイ集だが、うなってしまうような視点と、しなやかな情感が本書にはあふれている。それにしても読点がこんなに決まった書名というのは珍しい。「役たたず」というタイトルなら汎用、陳腐、自己愛プンプンで、プロのエッセイ集としては失格だろう。人気作家ともなればもう一工夫は必要なのだ。それが読点ひとつで、信じられないほど中身の空気感をうまく表出した書名になった。「最後に点をつけたのは、読まれた方が、だけど、とか、それでも、と、加えてくださるといいなと思った」と著者は「あとがき」に書いている。著者は68年生まれ。長く作家・嵐山光三郎さんの秘書として有名になった人だ。その後、エッセイストとして独立、小説でも話題作を次々と出版している、いま注目の成長株だ。葬儀に関した項で、「生きているときの顔だけ覚えていたいからと、行かないことに決めているひとも知っている。そういうひとからすると、通夜葬式に行くのは、人の人生の幕引きに参加したい野次馬の集いに見えるのかもしれない」と書いている。これには得心、自分の考えに近い。40代独身女性のみずみずしい感性と文体で切り取られた「浮世」は、還暦オヤジには新鮮で驚くことが多い。オビ文コピーもしゃれている。「役たたず、されど友もあり、ビールあり。」うまいなあ。

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