Vol.661 13年7月20日 週刊あんばい一本勝負 No.654


3連休は岩手山小屋泊まり

7月12日 読んでいないのだが、週刊ポストが「小沢一郎と西郷隆盛」という特集を組んでいる。これは興味深い。西郷ファンは「なんであんなやつと」と小沢一郎に嫌悪感を持つだろうが、冷静に歴史と向き合って考えれば、この2人は実によく似ている。歴史をジャッジする個人が、なにに立脚し、自分の生きてきた風土と比較し、どの角度から人物評価をするのか、が重要だ。確かに「東北史」の観点からみれば、小沢一郎と井上ひさしはそっくり同じ「思想」の持ち主だ。アメリカの近代史の研究者には、三島由紀夫と田中角栄は「反米愛国」「親中」という「同じ穴にいる敵」で、それ以上の区別はない。イデオロギーや出自を超え、歴史の中の人物を「別の視角」から切り取ると、面白いものが見えてくる。

7月13日 今日は岩手山に登る予定だったが、洪水注意報が出るほどの雨なので、延期。明日出発することに。3連休で助かった。山小屋泊まりから帰れば、すぐに庄内地方に2泊3日の出張だ。今日はそのための準備。選挙は期日前投票になりそうだ。再来週は長野行き。なんだか落ち着かない日々。でも出張が多いと電車でたっぷり本が読める。そういえば内田百閭Zンセイの『阿房列車』を読んでいたら、旅の途中でお金がなくなると古本屋に手持ちの本を売って路銀を得ていた。昔は本もちゃんと高値で売れたのだ。鉄ちゃんの内田にいつも同行する仲間のあだ名が「ヒマラヤ山系」というのも笑ってしまったなあ。

7月14日 曇天ときどき小雨の中、岩手山へ登ってきた。数年前に登った時は網張温泉リフト口からだったが、今回は初めての馬返し口。ゆっくり雨の中を5時間、八合目避難小屋で1泊。3段ベッド毛布付き。隣との隙間は30センチで満杯。人間カイコ状態だ。寒くなかったのが救いだが、今はやりの富士山の小屋って、こんな感じなんだろうな。6時消灯だったが隣のオヤジのいびきで寝られなかった。翌朝4時半起床。仲間に「いびきで寝られなかった」と愚痴を言うと「アンバイさんと2重奏で、ひどかった」と言われた。いや、おれ、ほとんど寝てないはずなんだけどなあ。そういう奴に限って熟睡いびき人間なのだそうだ。ほんとかなあ。

7月15日 3連休最後の日は朝4時半起き。8合目避難小屋から山頂へ。曇天なのに山頂だけ青空だった。日常では見ることのできないほどの澄んだ深いブルーで、まるで8千メートル峰のよう(行ったことないけど)。こんな壮麗で神秘的な山頂は生まれて初めてだ。帰りはリフトを使って網張温泉に降りる予定だったが、雷でリフトは一部運航中止。延々とスキー場横を歩くはめに。さらに下山に5時間もかかったのは、雷がひどかったからだ。ゴロゴロ音がするたびにリュックを放り投げ、やぶに隠れた。林から平坦な湿原に差し掛かると、決まって鳴り出すから始末が悪い。山の雷は本当に怖い。岩手山は全国区の山、山ガールたちもいっぱいだった。

7月16日 3連休は雨続きだったが一転、今日はさわやかな夏空。このところ外に出る機会が多い。困るのは毎日食べている自家製カンテンと玉ねぎスライスが食べられなくなること。夜遅くに帰ってくると、何はともあれ冷蔵庫から作り置きのカンテンと玉ねぎを食べる。カンテンは昔から食べていたが、最近は自分で作るほどの凝りよう。これがあるから間食しなくなった。玉ねぎスライスは血圧を下げる効果があるというので食べはじめた。食べてから一度も血圧を計っていないので、その効果のほどはわからない。でも、なんとなく血がサラサラになったような気分が持続している。進めた友人たちにはみんな好評で、2週間でガクンと血圧が下がった人もいるから、それなりの効果はあるのだろう。秋の健康診断が楽しみだ。

7月17日 今日から庄内地方に泊まり仕事の予定だったが、急きょ変更。市内で打ち合わせや雑事に追われることに。昨日はうれしいことが2つあった。洋服仕立直しのお店を見つけたこと(山仲間に紹介してもらった)。これで近所のいやなリフォーム店とおさらばでダブダブ礼服も救われた。もう一つは一緒に仕事をしたいと思っていたある組織から連絡をいただいたこと。こちらから営業しなければならないのに、あちら側から声をかけてもらった。でもこれからが問題だな。うまく進行できるかどうかは五分五分の勝負だ。なんだか穏やかな海面に、嵐の前のようにさざ波が出はじめた。

7月18日 ブラジルに行きはじめて最初に覚えたポルトガル語がレイチ(牛乳)とオニブス(バス)という単語だった。英語のミルクやバスといった言葉で世界中通じると思っていたのでショックだった。あれから30年、昨日ある本で、スタバで飲んでいる「ラテ」の語源が「レイチ」で、複数の人の作品を1冊の本にする「オムニバス」という言葉が「オニブス(乗合自動車)」が語源であることを知ってびっくりした。耳慣れない外国語だとばかり思っていたのだが、実は日本でも日常的に慣れ親しんでいる言葉の「素」だったのだ。英語文化圏の影響が強すぎてラテン系の言葉にまで頭が回らない。

7月19日 恒例の体重報告です。恒例って、自分で勝手に決めただけだが。でも、こうして自分にプレッシャーをかけ続けないと、いつの日かリバウンドするのは目に見えている。体重はいまだ10キロ減止まり、その前後をウロウロ、一進一退を繰り返している。とにかく外での飲食がリズム(体調)を壊している。そういえば先日、テレビの「報道ステーション」にゲストスピーカーとして出演していた人物が岡田斗志夫だとわかった時、背筋が寒くなった。あの『いつまでもデブと思うなよ』(07年新潮新書)が大ベストセラーになった50キロ痩せの評論家だ。もうほとんど見る影もなくリバウンド。一世を風靡したダイエット教祖の末路だ。自分もあんなふうに平気でリバウンドするのだろうか。いやはや怖いものを観てしまった。
(あ)

No654

大江戸歌舞伎はこんなもの
(ちくま文庫)
橋本治

この本からは多くのことを学んだ。そうだったのか。日ごろから疑問に思っていたことが、みるみる溶解した。「読書の快感」を味わうことができた。最初に押さえるべきポイントは、「歌舞伎は能狂言を踏襲したもの」ということ。江戸の初めに四条河原のストリートパフォーマンスではじまった歌舞伎踊りが「舞台」を目指したとき、そこには能の舞台しかなかったためだ。役者というのは士農工商のさらに下の身分で、人間ではなく「匹」単位の扱いだったとはよく言われることだが、さらにエンターテインメントという意味では吉原と同じだ。歌舞伎の役者は同業者である吉原へは行けなかったというのだから驚きだ。社会的立場上は売春と同じため、幕府に管理され、芝居小屋は同じ場所に集められていた。拡散していると悪い影響を与えるという理由でだ。江戸時代は男性優位社会である。男社会が原則なので、女はいるが「背景」としているだけだ。だから歌舞伎では「女もやはり男である」というのが基本原則になる。女を演じるのも男であるのは、女はあくまで「背景」でしかない、という考えのためだ。舞台にかかる演目の謎も溶解した。幕府に管理されているから、同時代の江戸で起きた事件や話題を舞台に取り上げるのはご法度だったのだ。そのため演目は江戸の前の時代の事件や話題が中心になった。そうした幕府の制約の中で、したたかに手を変え品を変え、それまで日本に先行存在していた芸能を消化吸収しながら、歌舞伎は今の地位を築き上げてきた。

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