Vol.657 13年6月22日 週刊あんばい一本勝負 No.650


なんだかいろいろあった1週間でした

6月15日 DVDのネットレンタルで半年前から予約しているのに借りだせない人気作品がある。ウディ・アレン「ミットナイト・イン・パリ」とNHK特集「日本の戦後―酒田紀行―農地改革の軌跡」だ。マニアたちが順番待ちしているせいだろうか。後者の「酒田紀行」がようやく借りられた。GHQの農地解放の実態が酒田の大地主・本間家を例に描かれている。アメリカ側の視点から劇映画風に作られたドキュメンタリーだ。戦後まもなく本間家の所有する農地は1700ha、それが昭和25年には4haまで削られている。すさまじい数字だ。ナビゲーターがあの「ニッポン日記」のマーク・ゲイン、山田五十鈴まで出演するテレビ番組だ。なぜアメリカ占領軍は、いの一番に日本の農地改革に手をつけたのか。農村の貧困に共産主義が忍び込むのを恐れたのだろうが、今のTPPを考えるときに、大いに参考になる歴史的教訓が多く示唆されていて、勉強になった。

6月16日 横手のホテルに1泊し、焼石岳に登ってきた。山行の詳しいことは「下り坂ヨロヨロ山行記」に書いたが、焼石岳に登るためには朝3時起床でないと無理とわかったためだ。幸いというか、湯沢には母が入院している。実家周辺にはご無沙汰して会いたい人もいる。それならと土曜に横手に泊り、いろんなことを片付け、夜は友人の店で飲んで、ゆっくり朝5時起きでスタートしたい。……という目論見は正解だったが、とにかく焼石は疲れた。約10時間の山歩きで、帰ってきたら文字通りバタンキュー。このへんが自分の体力の限界か。焼石岳は今まさに花の絶頂期で百花繚乱だった。あまりの花の数の多さに逆にほとんど覚えられなかったが、かろうじてキヌガサソウとハクサンイチゲだけはきっちりと脳裏に刻んできたが、ただただ疲れました。

6月17日 焼石岳の筋肉痛がまだ残っている。山にいるときはなんともなかったのに、家に帰ってベッドに倒れ込んだとたん、両足にケイレンがきた。山を下りてから自分で車を運転して帰ってきたのだが運転中もいつも通り、何ともなかったのに。この不意のケイレンが過労からくるものなのか、水分や塩分不足か、ここまで状況が複雑になると自分の身体ながらよくわからない。下山後、温泉で体重を測ったら昨日より3キロ減だった。今日の朝計ったら元に戻っていた。体重のメカニズムもいつもながら不可解。それにしても久しぶりに山に満腹した気分だ。

6月18日 ふだんは知性も理性もある紳士淑女たちが山菜となると眼の色が変わり人格まで豹変する。これは東北地方独特の「山菜との関係」かもしれない。長く貧しかった飢えのDNAが、山が暮らしの重要な一部だったころの記憶が生きているのだ。みんなが熱狂するものには冷めてしまう性質(たち)なので、山菜に特別な興味はない。放射能が怖いせいもあるのかな。放射能といえば3.11を想起する人が多いが、秋田の山々は数年前の中国の核実験の灰が多く飛来する地形だ。3.11以前の問題なのだ。先日ようやく湯沢市の山奥のタケノコに基準値超えセシウムが検出され、県は採取や販売の自粛を呼び掛けている。とっくにわかっていたことなのに採取したのが仙台市民だったため、秋田県民はもしかすると「余計なことを」と逆ギレしているのかも。毒でもいいからと食べるのは自由だが、くれぐれも家族に食べさせたり、人にはあげたり、他人を巻き込むのはやめてほしいものだ。

6月19日 凍傷で失った右足指の爪から寒さが這い上がってきた。あきらかに右足が弱くなっている。爪にも役割があったのだ……と、塩野米松著『登頂 竹内洋岳』(筑摩書房)で竹内は述懐している。著者はあとがきで「考えや思いは分かち合えるが、肉体は分かち合えない」と、この日本の生んだ稀代のクライマー独特の「登山の哲学」をうまく言い当てる言葉を記している。登山は競う相手もなく条件も常に違う。ルールも自分で選び、判定者もいない。だから「自分に対してのスポーツ」なのだと著者は言う。今日の夜、この本を書いた塩野さんと主人公のプロ登山家竹内さんと居酒屋で一杯やる予定。なにをさておいても竹内さんの右足の爪を見せてもらおう、と思っている。見せてくれるかなあ。

6月20日 車に乗るたびにカーナビに前回の運転技術の採点表が出る。頼んでもいないのに勝手に機械的が表示するのだ。アイドリング、アクセル、ブレーキといった小分類にわかれて評価され、総合判断が星の数で示される。友人たちが運転するとほとんどが満点なのだが、私だけは常に80点台の数字しか出ない。運転がうまくないのは自他ともに認めるところだが、なにが問題なのか、ずっと気になっていた。が、先日は初めて満点をゲットした。こわれものを積んでいたので超慎重に運転した結果だった。そうか、アクセルもブレーキも「性急すぎ」てダメだったのか。恐る恐る運転すれば満点になる、という法則がわかったのは大収穫。実は、この採点表、車に乗るたびにストレスになっていた。見ないふりをしてきたのだが、これで堂々と気にせず採点表を注視できるようになった。

6月21日 「やさしい」「辛抱強い」「無口」という東北人の勤勉さ、生真面目さを象徴する〈美徳イメージ〉は3.11後、ますます普遍的な性癖であるかのように蔓延しつつある。でもこの東北人の特質は何を根拠に、いつごろ定まった評価なのか。岩手在住の作家・高橋克彦さんの説はこうだ。言いだしたのは江戸末期の吉原の人買いや女衒たち。彼らは前述の3つを遊女を探す条件にした。天明や天保の大飢饉で吉原に売られた娘のほぼ7割は東北出身。戻る家のない娘たちはこの3つの条件を必死に守った。これが東北人の特性として広まった、というものだ。実は秋田美人に関しても同じような「説」がある。いずれもほめ言葉ではない。そのコインの裏側が東北弁への蔑視。これは明治時代、都市部で働く下男下女の大半の東北人であったため身分から助長された差別で、わかりにくい言葉だったからではない。
(あ)

No650

忘れられない日本人移民
(港の人)
岡村淳

著者は1958年生まれ。大学で考古学を学んだあと、「すばらしい世界旅行」などのTVドキュメンタリーで有名な牛山純一率いる制作会社・日本映像記録センターに入社する。そこからさらに紆余曲折のへて、自らブラジル移民として海を渡った。そして今もたった一人で、日本人移民のドキュメンタリーを撮り続けている映像作家だ。サブタイトルは「ブラジルへ渡った記録映像作家の旅」。全体が7章に分かれ最初の「はじめに」にあたる「ひとり取材、ひとり語り」の章で自らの半生を綴っている。この章がなかなか興味深いが、これが本題ではない。ここ以外の六章が本題で、ブラジルで出会った日本人移民との交流物語になっている。取り上げられた六人の人生が見事に彩り豊かだ。情感に富み、人間味豊かで、歴史の蓄積を静かに感じさせてくれる類の、個性的な人物オンパレードだ。といってもこれは登場人物のキャラクターだけの「豊かさ」ではない。彼ら彼女らの人生に、著者自らの半生をタブらせ、それをファインダー越しに見つめる、著者のまなざしの豊かさも加味された魅力なのだ。ただ単に過酷でドラマテックな生き方をした移民の悲しい、つらい物語は掃いて捨てるほどある。もうそんな物語は読みたくもない。ここに取り上げられた六名の移民たちの物語は、著者のカメラや身体を通過し、著者自身の中で咀嚼され、著者により編集された物語として完成しているから、こうも魅力的なのだ。移民の苦労話は腹一杯だ、という人にも、この本は満足のいく1冊だ。

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