Vol.785 15年12月19日 | 週刊あんばい一本勝負 No.777 |
相変わらずバタバタの師走です | |
12月12日 朝からカミさんのいる病院を訪ね、そのまま横手へ。ある人の展示を見てとんぼ返り。横手でラーメンを食べたかったがガマン。事務所に帰っていつもの昼食・リンゴ、カンテン定食。あとはひたすらデスクワーク。のつもりだったが仕事に集中できない。昨夜観たハンガリー映画『ニーチェの馬』の不思議な音と映像の余韻が頭の中で渦巻いている。ここまで台詞を排除し、無駄な演出をそぎ落とし、独自の美学と技巧に寄り添うと、こんな「極北の映画表現」になってしまうのか。最初に語られる哲学者ニーチェの馬と、映画のくたびれはてた馬の関係が今一つ分からないが、何の事件も物語も不在のまま、唐突に映画は終わった。いやああ、これはあとを引くなあ。 12月13日 料理は作るのも食べるのも好きなのでエプロンは必需品。3枚も持っているが大言する割には使わない。カミさんが入院したら、そのエプロンが大活躍している。1週間毎に洗濯が必要なほど。20年近く一度も自分のエプロンを洗濯したことがなかったのに。朝ごはんが終わると食器を洗いながら夜の献立を考える。冷蔵庫の中を確認しながら。この時間はけっこう面倒くさいが決まると気持ちも晴れやかになる。食器洗いもそうだが主婦はこうした小さな出来事の積み重ねでストレスをため込まないようにトレーニングしているのかも。夕食の献立が決まると、一日の大きな仕事を成し遂げたような晴れ晴れとした気分になる。 12月14日 庄内を歩いていると「麦切り」という言葉とよく出くわす。小麦を練って切って出す「うどん」とどこが違うの? とずっと思っていた。先日、鶴岡の「寝覚屋半兵エ」という店に入った。太いうどんをちょっと黒くしたような「麦切り」を食べた。芥子をつけて食べるのだが味はうどん。店の人に訊いてもうどんとの違いはよくわからない。調べると要するに麦切りは大麦粉が原料の麺。店の説明が要領を得ないのは、大麦が原料とは一言も言わなかったからだ。のみならず鶴岡市観光協会のHP紹介文では「(麦切りは)小麦粉が原料。絹を入れコシを出し滑らかな食味」と小麦粉と明言している。これは「切り麦」と混同しているのではないのか。切り麦はうどんと同じ小麦粉だ。その太さで冷や麦かうどんに区別される。「麦切り」は「大麦を原料とした麺」とはっきり辞書などには定義されている。包丁が貴重だった古代、麺は「手綯い」が主流だった。そのため包丁で切るという行為が珍しかった時代の名残りとして「麦切り」や「切り麦」といった言葉が残ったのではないのだろうか。 12月15日 朝飯の当番は新入社員。起きだすころには準備を終え、自分は早々と済ませ、もういない。仕事でもいっしょの父親と日常生活まで一緒なのはシンドイのだろう。味噌汁だけは自分で作るのだが、これがうまい(笑)。手前みそだがついついお代わり、お茶も時間をかけて2杯飲む。これが朝食の至福の時。人生の幸せは案外こんな何でもないディテールに隠れている。朝飯後、着替えを終えると15分ほどFMラジオを聴きながらボーっとする。これも好きなひととき。このままずっとこの時間が続いてほしいと思うのだが、30分もたてば仕事のことが全身を揺さぶりはじめ、いてもたってもいられなくなる。毎日がこんな朝の繰り返しだ。1日のうちでは朝が一番好きだ。 12月16日 雪が降らない。ありがたいような迷惑なような複雑な気分。後でまとめてつけを払わされるようなやつはごめんだが、まずはとりあえず雪のない師走も悪くない。今週はブラジル・サンパウロから来客がある。その家族(5人)のアテンドに忙殺されそうだ。カミさんの退院は予定より延び来週初めあたりだろうか。ようやく独身生活になれたのにまたいつもの暮らしに戻るわけだ。退院しても数か月は思うように動けないだろうから、こちらの負担や家仕事は今よりも重くなる。それにしても妻不在の1か月間はあっという間だったなあ。編集中の3本の本もここにきて一挙に動き出した。1月中には形になりそうだ。その販促準備もある。日暮れて途遠し。 12月17日 図書館員が本を選ぶ基準のひとつに「日本図書館協会」が提供する「選定図書速報」がある。ここで選定された本を基準に全国の図書館員は購入を決める。選定図書に選ばれるのは版元にとっても著者にとっても名誉であり、経済的にも意味が大きい。つい最近もうちでは『松栄丸「広東」漂流記』という本が選ばれたばかり。ところが昨日、図書館協会からの書面で「1949年から実施してきた事業を今年で終了します」と通達。理由は図書館員がこの速報を新刊選定に利用していない状況が明らかになったため。これも時の流れなのだろう。本が占めていた「文化の占有度」がどんどん縮小。その象徴的な出来事のひとつといえる。それにしても私が生まれた年から続いていた事業だった、というのには驚く。なんだか毎日、本の断末魔の現場に遭遇しているような気分になる出来事ばかり。 12月18日 朝ごはんはいつも同じメニュー。この同じというのがたまらないほど、いい。今読んでいる本『拙者は食えん!』(文春)は幕末、洋食に初めて出会ったサムライたちの苦闘と感動を描いたノンフィクション。サブタイトルは「サムライ洋食事始」。この書名とサブタイトルは文句のつけようがないほど決まっている。当時の日本人(我朝人といっている)が使節団として海を渡り、どのようなものを食べ、何を食べられなかったか克明に描いている本だ。渡航船の中で醤油がなくなり冷静なサムライたちが半狂乱になる。生魚も野菜も調達は可能だが醤油がないといかんともしがたいのだ。これがサムライたちの本音だ。塩焼はすぐにあき、どうしても醤油でなければ食事が成り立たない。笑いながら読める歴史ドキュメントというのは珍しいが、当時の遣米(欧)使節団というのはすべて相手国が費用を持っていた、というのも初耳。 (あ)
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