Vol.819 16年8月13日 週刊あんばい一本勝負 No.811


山でサイフを落としてしまった

8月6日 山で体力を消耗すると食欲がほとんどなくなるい。腹は減っているはずなのに食欲がない。疲労のほうが食欲より勝ってしまう。ここ数か月、明日の山行に備え土曜日は自分で弁当を作るのがルーチンになった。のり弁に目玉焼き、ソーセージのしょうゆ焼き、漬物(沢庵とナス)にポテトサラダといったところが定番メニュー。この弁当だと不思議なことに完食できる。コンビニのおにぎりはまったく受け付けない。何が違うのだろう。自分が作ると塩分量が調整できるの。ここがポイントかも。塩分が多いほど食べやすいのだ。

8月7日 クーラーを極力控えるようにしているせいか、この暑さは堪える。今日は阿仁に「安の滝」と「幸兵衛滝」。安の滝は観光気分で大丈夫だが、幸兵衛滝はかなり急こう配の山を1時間近く登らなければならない。里は35度を超す今年最高の暑さ。滝に着くと気温はなんと21度。ずっと滝のそばにいたい。ここで本なんか読んでいたら、あまりに気持ちよさに風邪をひいてしまうだろうな。今日もいやになるほど水を飲み搾れるほどの汗をかいた。クーラー控えめの日常生活が功を奏して体調はすこぶるよかった。

8月8日 この時期になると「戦争モノ」の著者へのマスメディアからの問い合わせが多くなる。ほとんどの人たちが本は読んでいない。ネットで検索して、図書館で実物を見て、「著者の連絡先を教えてくれ」と連絡してくる。本の宣伝になるし著者のためにもなるので教えるのだが、著者とか版元とか著作権とか基本知識がまったく理解できないマスゴミ人もいる。本当にこんな人たちに著者の個人情報を教えていいものだろうか。特に地元メディアがひどい。地元のことなのに「知らない」ことに何の「はじらい」もない。いや知らなくても結構なのだが、自分で調べてからにしてほしい。

8月9日 ヒマなのか忙しいのか、よくわからない。やろうと思えばいくらでもやることはある。でもこんなものだろうと思うと、何もやることはない。昔に比べて違うのは暇なときの過ごし方。時間ができるとすぐに外に出てリフレッシュというのはさすがに60を過ぎてからはキツイ。夜に酒を呑んで宿に泊まるだけで、いつもと違う疲労が蓄積される。外に出ないで何をするのか。できるだけ居心地のいい事務所や書斎で音楽やDVDや本と寄り添いながらうだうだ。これが一番だ。クーラーの温度さえ気を遣えば快適な時間をつぶすためにこれに勝ることはない。問題は年々読書時間が短くなっていることだ。長い時間本を読めなくなっている。持久力や集中力がめっきり衰えているのは間違いない。

8月10日 小説家の南木佳士さんは「底上げされた自分」をエッセイや小説でよく戒める。賞をとったりメディアに取り上げられたりする自分は「底上げされた自分」で本来の自分ではない。オリンピック柔道で銅メダルをとって不服そうなそぶりを見せる選手たちは日本国内だけで「底上げされた自分」が「本当の自分」だと信じ込んでしまった人たちだ。金をとるのが当たり前、と宗教的に信じている。でも世界では誰も「君が金確実」などと思ってはいない。日本の柔道は指導者の意識がもっとも遅れているスポーツといえるかもしれない。指導者たちの意識が変わらない限り、銅メダルで悔し涙を流す選手は後を絶たない。

8月11日 今日は「山の日」。といっても山行の予定はなし、だった。昨夜のSシェフとの二人呑み会で「山の日なのにどこにも行かないのはヘンではないか」という至極まっとうな意見で一致、男鹿・寒風山に登ることに急きょ決定。まだ酒が少し残っている。新聞はどこも「山の日」用の一面広告で埋まっている。うちも中日新聞(東京新聞)に38広告を打った。中日新聞は初めてだ。もともとこの新聞社は山岳系スポーツに強いところで登山愛好者が最も多い、と勝手に判断した。

8月12日 寒風山の火口外輪を回ってきた。パラグライダーのメッカで、空には色とりどりの翼が舞っていた。登山客よりも車で山頂までくる観光客のほうが多い山だが、名前通り風があって快適だった。一陣の風は一服の水に匹敵する。と調子よかったのだが、山でサイフを落としてしまった。こんな時のために山行には5千円以内の現金、カード類は持たず、山岳保険と免許証コピーのみ。小さな山用サイフだ。お金は惜しくないが不手際な自分に無性に腹が立った。ズボンのポケット入れていたものを違和感があり胸ポケットに移した。その時に落としたのかもしれない。不用意だった。サイフは車の中に置いていくのが常だった。昨日は観光地なので山頂で買い物する可能性もあり、山に持ち込んでしまった。帰りの車中、ずっと落ち込んでしまった。いくら年をとって経験を積んでも学習能力は向上しない。
(あ)

No.811

この国のかたち(1〜6)
(文春文庫)
司馬遼太郎

国民作家といわれる司馬遼太郎のいい読者ではない。過去に『竜馬がゆく』はかろうじて読んだ。なんとも大味で長くて中身はほとんど覚えていない。なのになぜか6分冊もある本書を読んでみようと思ったのか。ちょっと横道にそれるが、このところずっと、やはり苦手だった村上春樹の長編小説を読み続け、半年でほとんどを読破した。面白かった。食わず嫌いの偏見を恥ずかしく思った。この流れで司馬に関してももう一度ちゃんと向き合ってみようと思ったのだ。小説ではなくコラムを選んだのはとっつきやすそうに感じたからだ。その試みは間違っていなかった。やはり面白い。著者の思想や思索の断片が、わかりやすい言葉でコンパクトに解説されている。本書は雑誌「文藝春秋」の巻頭随筆として何年にもわたって連載されたものだ。おびただしいコラムの数々だが、1回で完結しないテーマがいくつかある。その題名をピックアップすると、「統帥権(5)」「神道(7)鉄(5)宋学(4)海軍(5)言語について(7)となっている。これを見てば著者がどうしても言い置きたかったものの核心が見えてくる。日本はいい国である。ただし昭和初期から戦争に入る10数年間だけを除いては、というのが何度も何度も繰り返される、核心的な著者の本音である。

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