Vol.889 17年12月23日 週刊あんばい一本勝負 No.881


ボタ雪・味覚・映画三昧

12月16日 立て続けに90歳代の女性を描いた映画を観た。1本目は「アイリス・アプフェル」というドキュメンタリー。サブタイトルは「94歳のニューヨーカー」。今もなおファッションの最前線で活躍する女性の物語だが、たまたま「ホームレス――ニューヨークと寝た男」と一緒に観たせいか、この大都市の懐の深さがよく分かった。もう1本は「92歳のパリジェンヌ」。原題は「ファイナル・レッスン」。要するに尊厳死を描いた物語で、高齢を理由に自死を実行しようとする主人公と、それを阻止しようとしながら、しだいに受け入れていく家族の物語だ。それにしても「92歳のパリジャンヌ」というタイトルはどうにかならなかったのだろうか。主人公の女性の元の職業は助産婦。女性の権利運動の活動家でもある。自由奔放に生きてきたがファッションや流行や社交とは無縁だ。パリジェンヌというイメージではないと思うのだが、アジアの島国の老人にはよくわからない。

12月17日 週末は部屋に閉じこもって原稿。『出版ニュース』という業界誌から頼まれたもので文字数は4500字。実は第33回梓会出版文化賞特別賞というものを無明舎出版が頂いた。その「受賞の弁」を書きなさいという依頼で、引き受けたものの枚数の長さに書き出してから驚いた。昔風に言えば400字詰め原稿用紙11枚。プロの小説家が短編小説を書ける分量だ。普通のエッセイストのコラムだって5,6枚のもの。11枚という分量はちゃんとメモを取り構成を熟慮してからでないと手に負えない。ということを書き始めてから気が付くのだからバカだ。受賞したのはうれしいが、こういう仕事も背景にはくっついてくるから喜んでばかりもいられない。

12月18日 日曜日、歩数計が2万歩を超えた。ずっと原稿を書いていたのだが気分転換で昼に散歩を済ませ、また原稿書き。夕方近く仕事を切り上げ、「なかいち」まで歩いた。友人のS君とこじんまりとやる忘年会だ。その飲食が終わった後、タクシーに乗る気分になれなかったので歩いて帰った。そんなこんなで結果、歩数計は2万歩超え。体重が減っていたり、歩数を稼いだり、天気が良かったり、スムースに原稿が書けたとき、すごく得をした気分になる。安上がりな気分転換装置である。

12月19日 ボタ雪が降り続いている。今年初めての本格的な雪だ。今年になって初めて「ちょっとやばいな」という気分になっている。県南部はいつものように雪が積もっているが、秋田市にはほとんど雪が積もっていない。先日は富山から来た人に「秋田の雪の多さにびっくり」と言われたが、えっ、この程度で、と逆にこちらが驚いたほど。このボタ雪が3日も続けば大雪注意報がでる。今日の雪かきは少なくとも3回以上になるのは間違いない。

12月20日 雪は止んで青空。でも道路はアイスバーンだ。こんな日は外に出て汗ばむほど歩きたくなる。昨夜、インド映画を観た。『めぐり逢わせのお弁当』という信じがたいタイトルで、原題は「ランチボックス」。インドでは会社まで弁当を配達してくれる組織があり、その弁当をめぐる物語だ。間違って配達された弁当を通じて、つくる側と食べる側の手紙の交流が始まり、それがやがて恋に……というストーリー。日本ではありえない展開だ。混雑する電車の中で男が野菜を調理するシーンもあり驚いた。ケータイ電話と弁当配達人のボロ自転車がミスマッチで、まるで時代の迷路に入り込んだような感覚になった。

12月21日 お正月はスーパーもコンビニも休むところが増えているのだそうだ。いいことだ。昔、お正月に価値があったのは「静かで不便で穏やか」だったからだ。欲しいものがあっても買えないし、手軽に友達とコミュニケーションもとれない。休む理由が「人手不足」というのが情けないが、いずれにしても静かなお正月は大歓迎。「不便で穏やか」なことこそ大事だ。こうした時代の流れに逆行するかのように、わが出版界は「年末年始に新刊を出す」方向に舵を切るという。年末年始に新商品がないのは書店だけ、という批判を受けてのことで、商品というのは漫画のこと。まあどうでもいいけど、ちょっと恥ずかしい「お追従」にしか見えない。

12月22日 高齢と物忘れはセットで語られる。2つ以上の連絡があると1つは必ず忘れるか思いだせない。できるだけメモするようにして対応しているが、メモに書こうと思った瞬間3つのうち2つしか思いだせない。買い物でも2つ以上になると呪文のように唱えながら店に行く。でも買う段になると見事に「あと一つなんだっけ」。耳鼻科の先生に「物忘れと嗅覚は関連がある」という話を聞いた。味覚が鈍ると脳にも何かしらの影響があるのは間違いないのだそうだ。カミさんのほうはこの味覚がダメ。水に昆布をいれたものがいいと聞き毎日飲んでいるが、ものの匂いがしないのはけっこうしんどいそうだ。味覚がないというのは思うだに恐ろしい。物忘れのほうがましだ。
(あ)

No.881

月の満ち欠け
(岩波書店)
佐藤正午

 2017年度の直木賞受賞作品である。版元が岩波書店、著者は長崎在住のベテラン作家。下馬評としては受賞間違いなしという声が流れていたので、受賞前の騒ぎの前に売り切れ予防に買い込んでいた。そのまま積読して読みそびれていた。ところが最近、ネットニュースで著者が直木賞の授賞式をボイコットしたことを知り、なんだか興味がわいて本棚から引っ張り出した。ボイコットという表現は穏やかではないが、要は「長崎から東京まで出ていくのは面倒」といったのは本心のようだ。でもこちらのほうがよっぽど過激な理由だ。本書は前評判通り、最初から最後まで気を張り詰めたまま読み通せる圧巻のストーリー展開。力作だがテーマである「生まれかわり」という概念に、こちらはどうしてもリアリティがない。そんな読者をどうだますかが、小説家の仕事で、本書は見事にそのことに成功している。とは思うのだが、やはりどこか非現実的なドラマを見せられている感が最後まで抜けない。本書の主な舞台は南部の八戸である。偶然なのだろうが、同じ時期の受賞となった芥川賞の沼田氏は岩手在住の作家。両賞とも南部藩の作品だった(芥川賞のほうは読んでいないが)。あまり関係ないか。

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