Vol.90 02年5月18日号 週刊あんばい一本勝負 No.87


徐福の墓

 今から2200年程前、中国を統一した秦の始皇帝が、不老不死の仙薬を手にするため徐福という方士に童男童女数千人を託し、東方の島すなわち日本に向け船を向かわせた。船は無事日本の海岸に到着したが、仙薬を手にすることが出来ずに国に戻った、という話が司馬遷の著わした中国の歴史書『史記』に載っているらしい。そのとき徐福が着いた海岸といわれている所が全国に10か所以上ある。北前船の取材でも訪れたが、京都府伊根町の新井崎や青森県小泊村の権現崎などだが、そのひとつに秋田県の男鹿半島がある。男鹿半島の門前という小さな漁村の近くにあるのだが、なんとここには「徐福の墓」まであったという。残念ながら30数年前の道路工事でその墓石は崖下にブルドーザーで押し出されてしまい、現在は残っていない。
 日曜日に取材のため、門前にある赤神神社を訪ねてきた。ここは「なまはげ」発祥の地であり、漢の武帝にまつわる伝説も残る所。神社宮司の元山高道さんが取材後、その「徐福の墓」があったところに行ってみませんかと、案内して下さった。元山さんは子供の頃、海に行くときはその墓の前を通っていたそうで、今になると墓石を失ったことが残念でならないと話されていた。今年の春先に村の古老と墓石探しをしたそうだが、他の石が多く発見できなかった。そこで、冬になり雑草が枯れたら再度墓石探しをしたいと語っていた。面白そうなので私も手伝いに行こうと思っている。
(鐙)

この石の中に徐福の墓があるらしい

「北前船グルメ紀行」ではありません

 1週間ほど前に刊行された『北前船おっかけ旅日記』は、発売前に内容や発売日などの問い合わせがいっぱい寄せられました。なかに困った問い合わせが何本もありました。「その本には北前船のことは書いていないのですか」というもので、「北前船」のことは書いてあると説明しても、すんなり聞き入れてもらえないのです。どうやら電話の向こうでは「取材に行った土地の食堂や居酒屋で、編集者がたらふくおいしいものを食べたり、酒を飲んだりしたことを書いているだけの本ではないの」と考えておられる様子です。
 「なんでそうなるの」と思っていたら、原因は事前の新聞広告やパンフレットなどに書かれたコピーのようでした。そのコピーから「全国を駆け巡った編集者の、食欲に満ちた取材グルメ日記」と勝手に思ってしまったようです。決してそんなことはありません。その証拠に、本の発売後は困った電話がなくなりました。
(七)

このコピー

奥州街道を地図上で踏破!

 連休明けから取り組んでいた『奥州街道』の地図原稿づくりがようやく終わりました。栃木県の宇都宮から青森県の三厩まで、奥州街道の道筋を資料地図で確認しながら5万分の1地図の上でたどり、街道沿いにある寺社や石碑、現在は痕跡すらないような一里塚跡や宿駅の本陣跡などを一つひとつマーキングしていく作業です。資料地図と原稿地図とは、縮尺も作製時期も違うので、道路の表し方が微妙に異なっていたり、道路改修で様子がすっかり変わっている所があり、単純に引き写すことができません。さらに、資料地図に載っていない寺社などは、別の地図で場所を確認する必要があります。今回の地図づくりは集中力、注意力がことのほか要求される作業でした。それでも、このあたりの街道風景はどんな感じだろうなどと想像するのは楽しく、いつか実際に奥州街道をたどってみたくなりました。
(鈴)

うるうるしながら(秋田弁)地図制作中

今週の花

 今週の花は丹頂アリアム、ひまわり、石竹、スターチス、ゴットセフィアナの5種類。この中で特に目を引くのが丹頂アリアム。茎が曲がっていてひょろ長く、見た目も香りもネギボーズにそっくりです。と思って調べたら、ネギやニンニクと同じ仲間でした。白い斑点のある葉っぱはゴットセフィアナ。石竹はセキチクと読み、カラナデシコ(唐撫子)とも言います。ちなみに、やまとなでしこは花びらの縁がもっと激しくギザギザしています。
(富)

No.87

かくしてバンドは鳴りやまず(リトル・モア)
井田真木子

 絶筆の作品を本にするために前後に企画書やインタビューまで無理やり入れ込んだ本、という印象がないでもない。このところ「リトル・モア」は立て続けに話題作を提供している注目の版元だが、この本に限らず、その精力的で社会的な視点とは裏腹に、本づくりの粗雑さが少々気になるところである。いい本を出す勢いは認めるのにやぶさかではないが、気負いすぎ、編集過剰、のようなものが妙に気になるのは私だけだろうか。井田はデビュー作の『プロレス少女伝説』でキーワードの『幕間』を「まくま」とわざわざルビを振った。それを読ませられた読者としては、そのイメージを簡単に払拭できないのだが、それでもその後の彼女の力感あふれるノンフィクションの数々には圧倒された。不幸にして彼女の若すぎる死によって本書は途中で終わった形になったが、読み終わっても彼女がなにを書きたかったのか、こちらに伝わってこない。企画書まであるのだから、そこで内容はフォローされて入るのだが、その企画意図が十全に満たされた作品とは私には思えない。私の読み方は意地が悪いのだろうか。

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