Vol.913 18年6月16日 週刊あんばい一本勝負 No.905


白内障の手術を受けます。

6月9日 神社のような不可解で非科学的存在は、人の心に降りていくと
あんがいその存在理由は単純で明白だ。同じようにお寺や僧侶の存在意義というのは、なんだかあいまいな感じ。日常的にお坊さんと接する機会が多くなると、「僧」や「寺」って何のために、と考えてしまった。たぶん心を穏やかにコントロールする技術を修行によってマスターしたプロフェッショナルを「僧侶」と呼ぶようになったのだろう。執着を断つことは凡人たちの願いでもあり、そのことを技術的に習得したプロがお坊さんと考えれば納得がいく。が、そんなお坊さんは実際にはほとんどいない。

6月10日 目の調子が悪い。左目がかすんでぼんやりしている。パソコンもテレビも見えにくくなっていて苦痛だ。特にパソコンのブルーライトがきつい。こうなると仕事の大半はできない。意を決して眼科に行くつもりだが、どこに行こうか。それも問題だ。子供同士の関係で知り合いの眼科医はいるのだが、白内障ということになれば当然手術が必要になる。友人に手術を頼むというのはなんだか少し重苦しい。はてさてどうしたものか。

6月11日 一昔前のバブルをはじめとする「時代の空気」をフィクション(小説)を通じて再体験する、という読書が好きだ。結婚難や少子高齢化、定年おやじに老後の資金不足、住宅ローンや分譲マンション問題を舞台にした中高年の悲喜こもごもを「主婦目線」で書きまくる垣谷美雨という作家がいる。私より10歳年下だが、この作家の作品にこのところはまっている。「都合のいい常識に毒された男たちに最後通告を突きつける」刺客のような物書きで、社会派エンターテイメントなのだが読みだすとやめられなくなる。

6月12日 いつも行く駅ナカの歯医者さんの入っているビルに眼科医があった。いきなり飛び込みで診察に。歯科医と違って「予約なし」にまずはびっくり。思った以上に眼科は広くて、看護師の数も設備の充実度も歯科医とはダンちがい。まるでどこかの研究所かラボといった雰囲気。診察も何段階かに検査が分かれていて、ほぼ午前中いっぱいかかった。予想通り「白内障です」との診断結果。結果が出るとなんだかホッとしてモヤモヤウジウジの気持ちが吹っ切れ、少し青空が見えてきた。手術は今月20日と来月4日。入院設備がないので片目ずつのオペになる。今日はその手術の説明会。病院でひがな1日を過ごす老人の、晴れて仲間入り。

6月13日 外に出る忘れ物をする。山行下山後の温泉で特に忘れる。脱衣かごの中だ。ホテルにも忘れ物をする。小物類がほとんどだ。その場所に電話をして着払いで送り返してもらう。値段にすれば数百円のものだが、毎日使っている身になじんだもの。温泉道具の手ぬぐいやせっけん、時計もあった。一番多いのはサンダル。20年以上履いている革製の愛着のあるシロモノ。もう5回は忘れている。昨日も酒田のホテルに寝巻カバーを忘れて届けてもらった。携帯用寝巻(モンベル)カバーだ。ホテル側はこんな布切れ袋、と思っているだろうな。

6月14日 市内の用事はほぼ徒歩。昨日は秋田大学で打ち合わせがあったが、その後飲み会があるのでタクシー。乗ると運転手の個性を見極める必要がある。むやみに話しかけてくるのも疲れるが、まったく無言なドライバーも怖い。県外のお客さんが、駅からうちまでくる間にタクシーのトラブルが多い。広面の無明舎出版までお願いします、といっても100パーセント「なにそれ?」という顔をされ、訛りのきつい秋田弁でまくしたてられる。その応対で県外客はかなりショックを受ける。これは同じ事例を何人もの人から聞いている。困った問題だが、なす術はない。

6月15日 サクランボが順調に生育しているようだ。県外の方へのお中元に使っているので、まずは一安心。去年までは降ひょうや豪雪被害で収穫が安定しなかった。驚いたニュースも一つ。散歩コースにある下北手中学校の入学者数が4人しかいなかったのだそうだ。今春の卒業生は17人。道理で生徒たちと登下校時に会う機会がめっきり減った。昔は路上で出会うと元気よくあいさつされた。グラウンドで練習する野球部の姿を見かけないのも同じ理由だった。部員が少ないので太平中と合同チームで大会に臨んでいるのだそうだ。いやはや少子高齢化はこうしたところに露骨に顔を出し、こちらを怯えさせる。
(あ)

No.905

小屋を燃す
(文藝春秋)
南木佳士

 心にしみるほどよかった。あわただしく粗雑な日常に、サラサラと穏やかで清涼な風が吹き抜けたほど。ふさいだ気持ちを前向きにしてくれる力が小説にはあることを証明してくれた。大きく深呼吸して、この風を吸い込むと、身体がしゃんとして精気が戻ってきた。4遍の中編からなる作品集だが、なかでも「四股を踏む」という作品が特に輝いていた。この作家のなかでは一番好きな作品である『草すべり』に匹敵する作品だった。定番の病院や自身の病気に関するテーマから少し離れ、近所の気の置けない先輩隣人たちとの交流を描いたものが本書の主人公たちだ。この作家が書けば、見慣れた情景やどこにでもいる人物たちも、ある種独特の陰影を持つ風景や人物に変わるから不思議だ。地に足がつく、という人間のありようを余すところなく伝えてくれる。ところで最近、新聞で南木氏の本名が霜田であることを知った。本書にも4カ所ほど「霜」という言葉が出てきる。そのたびに思わずニヤリと勝手に反応してしまった。

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