Vol.926 18年9月15日 週刊あんばい一本勝負 No.918


北海道震度7の衝撃のなかで

9月8日 TVトーク番組で若い女優が「悪心(おしん)」という言葉を使っていた。はじめてきいた言葉だ。悪心(あくしん)ならその読み通りの意味だが、「おしん」と読めば「吐きけ」のこと。知らなかった。一昨日の地元紙には「秋田のキリシタン遺構」の寄稿が載っていた。郷土史家の書いた原稿だが北東北のキリシタン拠点を「南部藩の水沢」と書いていた。これは致命的ミスで原稿自体が意味をなさなくなる。当時の水沢は仙台藩で、仙台藩だったことがキリシタン流入の原因だ。文化部の記者もここまではチェックできないのだろう。人のことは言えないが無知って怖い。

9月9日 この11日からSシェフと2人でフェリーで北海道に渡り、襟裳岬とアポイ岳に登る予定を立てていた。もちろんすぐにキャンセルした。体調はまだ何となくよくない。歯も目も耳もダニも腰痛も少しずつ改善に向かっているが、持病の「痛風」が君臨している。こいつは普段は何でもないような顔をしてすましているが、ある日突然、足首あたりで吠え出し、歩くのもままならないほど体を痛めつけてくる。暴れ出すともう何をしても無駄なのだ。この爆弾を何とか制御したいのだが、やっぱり医者に行くしかないだろうな。

9月10日 若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ』上下巻をようやく読み終えた。自分をほめてやりたい(笑)。信長の時代にイエズス会の宣教師に導かれてローマに渡った日本の少年4人の運命を描いた(という触れ込みの)作品だが、肝心のその4人の少年が本書の上下巻1000頁に登場するのは1割にも満たない。書かれているのは日本の戦国時代と、帝国化する世界(ヨーロッパ)のキリスト教宣教師たちの布教の姿だ。その邂逅を東西の史料を駆使して詳細に描いたものだ。今年のベストワンですな、この本は。

9月11日 生れて初めてウェブマガジンに原稿を書いた。版元が講談社なので原稿料もいただける。驚いたことにウェブマガジンというやつは「締め切り日」がない、ということをはじめて知った。原稿ができると即アップ、毎日更新するから締め切りを決める必要がないのだ。雑誌はウェブの「卸市場」も兼ねていて、巨大サイトであるグーグルやヤフーなどに原稿を買ってもらうための「売り場」にもなっている。さらにアマゾンにリンクでき、原稿を読んで面白ければアマゾンで私の本も買える仕組みだ。紙の世界とは全く違う未知の大陸が広がっている。

9月12日 北海道地震の死者の中に「出版関係者」が1名いた。競走馬のメッカといわれる「ひだか町」で競走馬の専門誌「フューチュリティ」の編集に携わっていた編集者Nさんだ。ご冥福を祈りたい。面識はないのだが、競走馬が好きで大阪から北海道まで移住したという50代半ばの方だ。考えてみると地震で最も被害を受けるのは印刷業ではないか。印刷機は地面の水平が命だ。地面がゆがむと印刷機は使用不可になる。地面が水平に保たれていることが稼働の絶対条件なのだ。

9月13日 これからの仕事に必要で、読まなければならない長い原稿があった。緊急を要するものではないが、早く決着をつけてしまいたい。一念発起、散歩に持ち出し駅ナカの喫茶店で一気読み。環境を変えるとけっこう集中できる。なんだかすごいことを成し遂げた達成感があるが、原稿そのものはまったくたいしたことはなかった。ちなみにこの原稿、昔自分の書いたものである。

9月14日 うちで発行した写真集の写真を使用させてほしい、というリクエストは今も途切れることがない。非営利の学校行事などには「無料使用」を認めていたが、公的な行事や民間企業の再使用には「1枚1万5千円」という使用料を定めている。学生の大学祭などに使用させてほしいという要望にはなるべく無料でこたえたいところだが、著作権者(所有者)が「許可した覚えがない」と抗議してくるケースもある。そう簡単な問題ではないのだ。1枚1枚所有者が別で、物故された方も多い。いちいち許可をとるのに限界がある。そのため出版社がある程度の責任を負い、典拠を明記することを条件に無料で許可するケースもあるが、最近の人たちは「情報はタダ」という意識が当たり前。でも情報はタダではない。著作権者のためにも対価を要求する。鬼の決断だ。
(あ)

No.918

クワトロ・ラガッツイ
(集英社文庫)
若桑みどり

 若桑みどり『クアトロ・ラガッツィ』上下巻をようやく読み終えた。自分をほめてやりたい(笑)。まあとにかくいろんな意味ですごい本だ。この本を書いて数年後に著者は亡くなるのだが、これほどの本を世に残したことで、著者の名前は私たちの記憶にはずっと残り続けるのは間違いない。戦国末期、信長の時代にイエズス会の宣教師に導かれてローマに渡った日本の少年4人の運命を描いた本という触れ込みなのだが、肝心のその4人の少年は本書の上・下巻1000頁のなかでほんの少ししか登場しない。書かれているのは日本の戦国時代と、帝国化する世界(ヨーロッパ)のキリスト教宣教師たちの布教の姿だ。その邂逅を東西の史料(イエズス会の宣教師の書いた文献には原文を主にほとんど目を通している!)を駆使して詳細に描いたもの。読み始めると4人の少年のことなどどうでもよくなるほど、大航海時代のヨーロッパと日本の関係が「キリスト教」というキーワードを通して浮き彫りになる。この執念にも似た著者の執筆への情熱は、美術史家としての限界という個人的な苦悩から始まったことも、本書の始まりに正直に記されている。なぜ九州にキリシタン大名が多くいたのか。隠れキリシタンとはなんなのか。イエズス会とフランシスコ会の違いは……すべての答えがこの本に書かれている。

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