Vol.933 18年11月3日 | 週刊あんばい一本勝負 No.925 |
新ソバと棚踏 | |
10月27日 前線の影響で雨模様。朝寝をして起きたのは11時。歯痛もないし痛風の兆候もない。くわえて、やらなければならないこともない。何もしなくてもいい、というのは極楽だが、それを極楽と思える感性がこちらにはない。忙しいことこそが極楽という感覚から抜けられないのだ。これは死ぬまで抜け出せない感覚になりそうだ。何もしない休日を心の底から楽しいと思える日は来るのだろうか。 とりあえず今日はデスク周りの片づけと家の包丁研ぎ、山道具の防水スプレーをしよう。 10月28日 今日も冷たい雨。山行の予定をいれなくてよかった。昨夜、あるアイデアが急にひらめいた。ずっと取材を続けているテーマがあるのだが、どのような切り口で処理すればいいのか、この10年(!)悩み続けてきた。材料はたっぷりあるのに設計図が出来なくて建てられなかった家のようなものだ。その設計図が目の前にヒラリと降りてきた。「これなら家ができる!」と一挙に目の前が明るくなった。慎重に、大胆に、前向きに、この設計図と向き合ってみるか。 10月29日 沢木耕太郎『銀河を渡る』を読了した。最終章「深い海の底に」は「別れる」という副題がある。うちの著者である故・太田欣三さん(筆名 織田久)への長いオマージュもあった。太田さんは元「調査情報」編集長、若き沢木耕太郎を見出した人で、生前の太田さんに誘われて、私自身も沢木さんとご一緒にお酒を飲んだこともあった。その項にはうちで出した太田さんの2冊の本(「江戸の極楽とんぼ」「嘉永5年東北」)への言及もあった。太田さんが亡くなって7年余経つ。本人はもう1冊、どうしても書きたいテーマの本があったのだが、それを出せなかったことが悔やまれる。 10月30日 15年以上前、はじめてパリ旅行し背伸びして分不相応な高価な帽子を買った。そのころから始めた山歩きにこの帽子はピッタリで、以後、何度も洗濯しながら愛用することになった。ところが去年、再び訪れたパリで、タクシーの中にこの帽子を置き忘れてしまった。エルメスの帽子だ。パリで買い15年後のパリで失くしたのだから、帽子は里帰りしたわけである。昨日、ヤフーの中古品でまったく同じ帽子が半額の値段で出品されていた。サイズも同じなので即注文してしまった。なんだか正体の見えない敵にようやく復讐を果たしたような達成感……いや欠けていた部分がすっぽりと埋まったような「充足感」かな。うれしくてスキップしたくなる夜だった。 10月31日 今年の種苗交換会は秋田市。散歩を兼ねて駅前会場に。小さな市町村にとって種苗交換会は町全体がお祭りになる一大イベントだが、県都で開催されると会場が分散されるせいか「農産物のミニ・イベント」という感じで盛り上がりに欠ける。道の駅や産直のほうが活気がある。駅ナカにあった「秋田米キャンペーン」ブースには米ができるまでの農村風景写真が飾られていた。違和感があったのは写真の大半が美しい「棚田」写真だったこと。これは秋田の風景ではない。「秋田の米を食べよう」というキャンペーンに他県の誇る美しい農村風景写真を展示して恥じない精神はごりっぱ。こういう無神経さが実は農業の根本的な問題なのだが。 11月1日 新ソバの季節だ。新聞の4コマ漫画が「新ソバ」をテーマにしていた。内容はこうだ。「新そば入荷」の宣伝文句に魅かれて店に入ると、店主が申し訳なさそうに「つなぎも使ってるので(新ソバとは言うものの)100%では…」と謙虚だ。さらに「打つのも私のような古い人間で」と言い訳が続き、最終コマは「実は去年の粉をこぼし、今年の新そばに半分混ざってしまいまして」とダメ押しの言い訳。「いいから早く出せ!」と客が叫んで終わるのだが、これには大笑いしてしまった。 11月2日 「棚踏」(たなふみ)という故事を知っているだろうか。日曜大工でお父さんが作った棚が、同じくお父さんが作った踏み台の上に落ちてしまった。棚は落ちたけど壊れなかったが、踏み台は落下物のために壊れてしまった。これはどっちがよりダメなのか、という「矛盾」にかわる新しい故事が「棚踏」である……という新聞連載の4コマ漫画。なるほど、これは「あり」だ。新ソバ漫画が面白くて切り取ったら真裏にこの4コマ漫画も載っていた。本当にあってもおかしくない故事だ。荒唐無稽の一歩手前で、リアリティを損なわずシリアスを笑いに変えてしまう。一流の漫画家はマジシャンのようだ。 (あ)
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