Vol.934 18年11月10日 週刊あんばい一本勝負 No.926


1週間が飛ぶように過ぎていく

11月3日 2週続けて山行はなし。パートナーというかリーダーのSシェフが多忙なためだ。一人で行けば、と言われそうだが昨今の山はクマが怖くて一人ではとても無理。小さな山は週末もほとんど人はいない。クマの気配だけがプンプンと森全体に匂っている。静かに一人で秋の里山を散策する、というのは「幻想」である。静かな里山ではひたすら鈴を鳴らし、笛を吹いて、大声を出すのが山歩きの基本だ。去年、教養大の裏の森でコンクリートの上に巨大なクマの糞を見つけた。あの日以来、一人の森歩きはもう無理だと悟った。

11月4日 久しぶりにカミさんと外食。「和食みなみ」まで自分の車で行き帰りは代行車、というカミさんの提案に従った。そちらのほうがタクシーを使うより半額で済むという。タクシーでは片道1300円だから往復2600円。それが代行車は1500円ですんだ。もう一つ。網戸の網がボロボロになったので買いに行った。お店で「網戸は夏のもの。夏が終われば返品するからありません」と笑われてしまった。網戸の網ぐらいどこでも売っていると天から疑わなかった。知らないことばっかりだ世の中は。

11月5日 新米が美味しい。去年まで農家は減反に協力すれば10アール当たり7500円の補助金がもらえた。今年からそれがない。半世紀ぶりに農家は自由にコメをつくれるようになったわけだが、作付面積は前年比で1パーセント増。東高西低で西は減産、東は増産傾向にある。日本で最も作付面積が増えたのは秋田県で前年比5500ヘクタール増だ。2位の新潟に1000トン以上の差をつけている。なぜ秋田はコメの作付面積が増え続けているのか、そのことをいろんな角度から調べてみようかと思っているのだが、一筋縄ではいかない難しさもある。新米の価格は4年連続で上昇している。と同時にコメ離れも年間消費量は50キロを切りそうな崖っぷち。外食に使われている業務用米不足も深刻で(農家はブランド米ばかり作りたがる)、コンビニのおにぎりがまずいのは輸入米を使っているからだろう。かくもコメを取り巻く状況は複雑怪奇。調べてみる価値はありそうだ。

11月6日 夜中に目が覚めた。手元にあった稲垣えみ子『人生はどこでもドア』(東洋経済新報社)を読みだしたら、やめられなくなり夜を徹して読了。著者はあのアフロヘアーの元朝日新聞記者でサブタイトルは「リヨンの14日間」。プライヴェートのわずか2週間のフランス旅行が本になるのか、という興味から読み始めたのだが、旅の目標(目的)は「外国で日本と寸分たがわぬ生活をすること」。朝起きてヨガをしてカフェで原稿を書きマルシェ(市場)で買い物、自炊する。それを2週間続けた記録なのだが、これがもう無類に面白い。やっぱり本の命は「テーマ」だ。観光地にもいかないし、フランスなのに1軒のレストランの名前も登場しない。泊まるのは民泊だし(これが重要)、言葉はできないし、冷蔵庫も洗濯機も使わず、食事は自炊する。暮らすように旅をする50台の女性は、ものすごくおしゃれだ。

11月7日 アメリカの中間選挙の結果を見て、アメリカ人は何を考えているのだろうと思わないでもない。『記者、ラストベルトに住む』(朝日新聞出版)を読むとトランプ支持層の生態がよくわかるが、ブラジルでもミニ・トランプといわれる極右のジャイル・ボルソナーロが大統領に当選した。軍事独裁政権を賛美する元軍人である。アマゾンに住む日系人に、その辺の事情を訊くと「左翼やリベラルは貧乏人に金をばらまき、残りを自分の懐に入れるだけ」。そんな最低の「良い人」よりは、官僚の腐敗や汚職、治安悪化に真剣に取り組む「悪そうな人」のほうがずっとまし、という。「良さそうな人より悪そうな人のほうがちゃんと仕事をする」というヘンな価値観が世界で増えつつあるのだろうか。

11月8日 今週もあっという間に週末。ヒマではないが忙しくもない状態がダラダラと続いている。活字をとりまく世界はひたすら静かだ。読者からの問い合わせも昔の品切れ本や図書館で読んだ本への問い合わせばかり。ガックリ来る。ワクワク、ドキドキすることは本当に少なくなった。これを時代や老化のせいにするのは、ちょっとズルいか。
(あ)

No.926

「混血児」の戦後史
(青弓社)
上田誠二

 この本はちょっと内容的に物足らない。混血児の問題については個人的にも勉強もしてきた。長い時間をかけて混血児本人たちに何人も取材も重ねてきた。具体的に言えば1977年、ブラジル・アマゾンでエリザベス・サンダースホーム出身の混血児に出会い、そのアマゾン移住の顛末を40年以上にわたって追い続けている。目まぐるしく現実は変化し、混血孤児たちの置かれた状況も日々変貌を遂げている。そのため本として結実する可能性はかなり難しいのだが、その困難さが混血児の置かれた現状ともアナライズする。本書は大学(非常勤講師)で教育史や音楽史を教えている人が執筆したもの。サンダースホームにも、かなりの紙枚を費やしているが、混血児本人たちとの接触や生の証言はほとんどない。文献を渉猟した記録が中心になっている。学術論文ほど固くはないが、ルポルタージュほど砕けてもいない、ちょっと中途半端な作品で読み通すのが難しいかもしれない。著者は本当にこのテーマで書きたかったのか、このテーマを取り上げる必然性が著者にあったのか、こちらに伝わってこないのが致命的だ。

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