Vol.945 19年1月26日 週刊あんばい一本勝負 No.937


クマ鍋と転倒

1月18日 健康診断が終わるとなんだかホッとする。ランチは近所の蕎麦屋さんでカレーと蕎麦セット。外で食べるとどんなものでもおいしい。山に登ってランチは麓の道の駅でラーメン、なんていう予定があると前の日から山に登るのが待ち遠しくなる。ちょっと食べすぎると1キロはすぐに体重計が跳ね上がる。この年まで体重に悩まされる人生になるとは思ってもみなかったが、大病してガリガリに痩せるのも嫌だしね。

1月19日 二泊三日で京都・東京を回ってくる予定。目的は京都にクマ料理を食べに行くこと。「クマ肉は不味い」という秋田では当たり前に流布されている説を根本から覆す経験ができるかもしれない、という期待と不安の入り混じった取材だ。飛行機でなく新幹線を選んだのは読みたい本がいろいろあるから。6時間半もあれば2冊は読破可能だ。

1月20日 昨夜は祇園でちょっと飲みすぎてしまった。京都は薄曇りで時々雨、けっこう寒い。猪熊料理店は市街から車で30分ほど走った山中にある「右源太」というジビエ料理の名店。交通の便が悪いので、お店のマイクロバスで送迎付きだ。御座敷に腰を下ろすと、目の前の炭火の囲炉裏に白味噌ベースのボタン鍋と醤油ベースのクマ鍋の二種類の鍋が用意されていた。薄くスライスされたイノシシとクマの肉を、その鍋にくぐらせセリやエノキ、豆腐などと一緒に食べる。凝った工夫や演出のない極めてシンプルな鍋料理だ。肉はどちらも脂身と赤身が半々のロースで、上質な牛や豚を食べている食感にまずは驚いた。でも牛豚よりも味があっさりして、いくらでも腹に入っていく。獣肉特有のしつこさや、くどさをほとんど感じないのにも驚いた。クマ肉は臭くて、かたくて、えぐい……といった先入観はいとも簡単に吹っ飛んでしまった。「淡白な美味」という想定は自分の中にまるでなかったから不意打ちを食らったような衝撃である。料理のポイントは鍋の汁と、肉をできるだけ薄くスライスすること。なるほど、これなら秋田でも少しはこの味に近づけるかもしれない。

1月21日 クマ料理の後は東京まで戻り1泊。お昼は地方小のK社長と神楽坂でランチ。そこから東京駅までいつものように歩く。帰りの新幹線では夢枕獏と岡村道雄の対談集「縄文探検隊の記録」。あっという間に秋田についてしまった。

1月22日 まだ京都のクマ料理の衝撃が身体に残っている。お隣の救急車事件は、引っ越し準備中だった娘さんの旦那さんが心筋梗塞で亡くなったのが真相だった。夜中に引っ越し準備中に倒れて亡くなったのだが、死亡事故なので警察の事情聴取があり、事故の内容が外に出なかったとのこと。私が出張の間、娘さんご本人が事情説明に見えたそうだ。ご冥福をお祈りします。

1月23日 外はテッカテカのアイスバーンとわかっていたのに散歩に出た。駅西口から城東交差点の真ん中あたりで転倒、打ちどころが悪かったのか、大の字になりしばらく起き上がれなかった。脳震盪かと思ったが、しばらくすると意識も体の痛みも戻ってきた。ゆっくり起き上がり、しばらくしゃがんで呼吸を整えた。転んでから起き上がるまで5分以上の時間がかかっている。両手首のあたりに激痛があった。あまりに痛さに歩けないほど。やっちまったようだ。パソコンが打てなければ困ったことになる。新聞連載の締め切りある。救急車を呼ぶことも考えたが、そこまで決断力はなかった。歩きながらこれからのことを考えた。まずは明日一番で整形外科に行こう。けっきょく一晩中眠れなかった。朝起きて痛みが両手首のみなのに少し安心。頭も腰を痛くない。整形外科でレントゲン。骨折はしていなかった。

1月24日 転倒事故の数時間前、テレビで大相撲をみていたら二番続けて土俵下に落ちた力士が、そのまま車いすに乗せられて退場した。格闘技のすさまじさを目の当たりにして背筋が寒くなった。夕食時、カミさんにもそのことを話して「アイスバーンの転倒も怖い」という会話を交わした後、転倒事故だ。大の字にのびてボンヤリとあの力士のことが頭に浮かんだ。彼らは毎日、こんな肉体の瀬戸際で仕事をしているのだ。魂だけがズポンと身体から抜け、大の字になった自分を眺めている。腕を引き寄せようとしても力が伝わらない。足を踏ん張ろうにも足の方向がわからない。ほんの一瞬だが幽体離脱の経験をした。幽体離脱の得難い経験の代償は大きい。

1月25日 整形外科検査で骨折でないことが分かった。2日経った今、両腕(手首から肘)の痛み以外はどこにも異常はない。転んだ時に思い切り両手で受け身を取ってしまった、というのが真相のようだ。頭を打たなかったのは不幸中の幸いだ。キーボードを打つのに支障がないのは助かったが、親指の周辺が思うように動かない。シャツのボタンが留められない。ペットボトルの栓があけられない。ハシがうまく持てない。歯磨きに力が伝わらない。食器も洗えないし、風呂洗いも私の仕事だが免除してもらった。出舎しても役に立たないのでソファーに寝転んで本を読んでいるだけ。都合のいいことに(?)今日は近所の電気工事が行われていてインターネットがつながらない。
(あ)

No.937

最後の読書
(新潮社)
津野海太郎

 2019年の初読みはこの本だった。大晦日に読もうと決めて買った本である。著者の津野さんは80歳をちょっと超えたあたり。去年2回ほどお目にかかっている。いうまでもなく晶文社の元編集長であり、「本とコンピュータ」編集長だった人だ。雑誌「考える人」に連載されたものを1冊に編んだもの。目次には「わたしはもうじき読めなくなる」「目のよわり」「蔵書との別れ」「古典が読めない」といったネガティブな見出しが並ぶ。著者特有の自分自身をシニカル見つめる定番の視座だが、津野節は本書でもいぜんとして健在だ。「本を読む天皇夫妻と私」の項が興味深い。皇后が無類の本好きなのは出版の世界では周知の事実だが、著者が実際にお会いして驚いたエピソードがつづられている。スキラ社というスイスの美術出版社が刊行する画集の「スキラ判」(週刊誌を縦に9センチほど短くした正方形のような判型)に話題がのぼった。皇后はこの判型の美しさと魅力について当たり前のように語ったという。スキラ判という判型はいまや編集者やブックデザイナーでも知らない人が多い特殊な用語である。「本との付き合いの深さが並ではない」と感じたそうだ。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.941 12月29日号  ●vol.942 1月5日号  ●vol.943 1月12日号  ●vol.944 1月19日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ