Vol.969 19年7月27日 週刊あんばい一本勝負 No.961


「現役」は「減益」か

7月20日 土曜日だから朝寝。「もったいないなあ」と思ってしまうのは時間貧乏の若い時からの悪癖が抜けていないから。明日は久しぶりの山行。楽しみでワクワクするが、ちゃんと登れるだろうか。山は東栗駒山で、もしかして初登攀する山? 本は一向に売れないけど、身体の調子はいい。どっちが幸せなんだろうと冗談交じりに考えることもあるが、少し忙しくて身体も絶好調というのが理想なんだろうな。

7月21日 今日は東栗駒山。6月2日の太平山奥岳以来だから50日ぶり。登頂すれば私にとっては初登頂。登り口は栗駒山と同じなのだが昭和湖を通る正規のルートが通行禁止。いつもは帰りのルートに使う産沼口のさらにもう一つ奥にある東栗駒ルートで1433mの東栗駒山(宮城県栗原市)を目指す。山頂までは3時間半。ここからさらに須川岳(栗駒山)1626mに1時間かけて登り、産沼ルートを帰ってきた。水をたっぷり持って行ったのが正解だった。やっぱりいきなりの山行にしてはちょっとハードルが高すぎたかも。体力も気力もかなり落ちている70歳のヨレヨレオヤジを実感する。

7月22日 夏目漱石『坊ちゃん』を突然無性に読みたくなった。中学か高校時代に読んだきり、どんな物語なのかもすっかり忘れている。一晩で読了。こんな物語だったのか。主人公は東京理科大学(の前身)の卒業で数学教師。主人公と山嵐VS赤シャツ・野だいこの対立を描いた単純な筋立てだがやたらとテンポがいい。「坊ちゃん」というタイトルは、お手伝いである「清」へのオマージュの物語でもあるので、「清」のの口癖からとったものだった。文中で2度ほど赤シャツが「あんな坊ちゃん…」と発言する場面があるが、やはり書名は「清」への哀惜からつけられたものと考えて間違いないだろう。

7月23日 今日も雨。玄関工事はまだ半ばだ。駐車場が使えないので車は外に出しっぱなし。人の出入りも玄関が使えないため不自由きわまりない。これまで1mほどの段差を2段で上がっていたのだが、クレーム(家人から)があり4段に変更する工事だ。高齢者はこうしたことに敏感なのだが、山歩きなどやっているせいでそうした配慮をすっかり失念。自分も高齢者のくせに。工事が梅雨と重なるのは想定外だった。

7月24日 昔の膨大なポジフィルムやネガフィルムを保管庫から引っ張り出し整理中。いつかは役に立つときがあるはずと信じて収集、保管してきたもの。ネガもポジも色あせ画像が消えかかっているものもある。私がいなくなればこれらの資料もすぐに消えるのは間違いない。なくても誰も困らない。でもこのまま消えていくのを傍観するのも忍びない。こうした古いポジやネガをデジタルにかえてくれる簡単な機器があり1万円ほど。この機器を使って手作業で一枚一枚変換していくのはとてつもない労力がいるが、やり始めるしかない。

7月25日 年4回発行している愛読者向けの通信を年2回に縮小しようと思っている。もう10年以上発行し続けている読者向け通信だが、在庫が少なくなり、品切れ本が増え続けているのが現状で、新刊点数も落ちている。いまが縮小する「ころ合い」だ。消費税が上がると郵便も値上がりする。今度の10パーセントは出版界に大きな打撃を与えるのは間違いない。印刷所や銀行の借金がないというアドヴァンテージが、そうした問題と「深刻に」「真剣に」向き合うことから距離を置いてしまう結果になった。真摯にこの出版不況と向き合わなければならない時期なのかもしれない。

7月26日 現役で仕事をしていると日々、どちらに進むべきか、という岐路というか選択肢を前に思い煩う。最近はそんな岐路に立つと迷わず「シンプルなほう」を選ぶようになった。どちらを選んでもすぐに答えの出るような問題ではない。実は正解はあってないようなものだからだ。いまもなんとか人並みに生活できているから、まあ大きな選択ミスはしなかったといっていいのかもしれないが、これから何が起きるかわからない。ワープロに「げんえき」と入力すると「減益」と出てくる。なんだか不吉で頭にくる。
(あ)

No.961

ストーカーとの七〇〇日戦争
(文藝春秋)
内澤旬子

去年、たまたま読んだ「週刊文春」(週刊誌を読むことはほとんどない)にこの記事が載っていた。著者は何度か会ったことのある知り合いだ。屠殺の本や、豚を飼って解体したり、田舎暮らしの本を書いている美人のイラストレーター、だったはずなのに、この週刊誌の連載はまるで「同姓同名」者のものかも、と最初は思ったほど。その後も銀座で開催された平野甲賀メモリアル展で彼女とは会っているが、何事もなかったようにあいさつを交わしている。ところが、本書を読んで、ようやく事態がのみこめた。ここ数年、ネットで知り合った男性とのトラブルで、彼女はとんでもない精神的窮地に追い込まれていたのだ。そうだったのか。前半部を読む限りは、彼女はもっと強いはず、なんでこの程度の男のことで悩むのか、と、そのあまりのナイーブさに違和感すら覚えた。後半、このままでは被害者の自分のほうが完全に壊れてしまう、と猛然と男に反撃しはじめるあたりから、ああ、やっぱり、あの内澤さんだ、という感動が芽生えてきた。この程度の男と同じ土俵に上がる器の彼女ではない。とは言いながら本書を読んで、このSNS時代、姿を現さない卑怯な敵と戦うには、こちらにもしたたかな戦略がいる。ということに気づかせてくれた参考書でもある。

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