Vol.966 19年7月6日 週刊あんばい一本勝負 No.958


東京での強烈な体験

6月28日 朝4時前に目が覚める。成田までぐっすり寝た。これで時差ボケ解消とはいかなかった。朝ごはんは代わりをして卵かけご飯も。午前中、メールで返信、手紙には返事を書く。昼はそばが食べたくて南部家敷で天ざる。午後、成田のQLライナー(宅急便)からスーツケースが届き、その整理に3時間。どうしても見つからないものがあった。データ消失を恐れてデジカメとICレコーダーのデータはサンパウロでUSBに保存したのだが、そのUSBがいくら探してもない。焦りまくるが本機から直接データを取り出すことができた。まずは一安心。夕方はまったく食欲なく、インスタントのラーメンで腹がくちくなった。夕食後も仕事を続けるが、気を失うように睡魔に引き寄せられる。9時、風呂にはいって就眠。そういえば風呂にはいったのも2週間ぶりか。

6月29日 朝4時半起床。どうしても目が覚めてしまう。昨日から外は雨、散歩できない。散歩できれば時差ボケの解消度は格段に早くなったはず。今日から地元紙に「アマゾンの秋田県人」(仮題)という短期連載のための原稿を書きはじめる予定だ。構想はもう出来上がっているのだが、なかなか最初の一文字がき出せない。散歩をすれば頭の中がすっきり整理できるが今日も朝から雨。今気が付いたが秋田は梅雨だったんだ。早起きして得なことは毎朝ブラジルに電話で切ること。12時間時差があるんで早朝はあちらの夕方だ。ブラジルのラインである「ワッツアップ」に入ったので、隣町のような通話状態で地球の反対側につながる。Wi-Fiを使った無料電話アプリなのだが、こんな便利なものが世の中にあるとは知らなかった。ラインもやらないジジイにはチョーショック。

6月30日 時差ぼけは解消しつつある。身体の芯のほうにある「ぼんやりした塊」が消えた。昨夜は散歩できた。これがないよりうれしい。Sシェフから「サザエとタケノコ」の瓶詰をいただいた。サザエの柔らかさと京料理のような薄い味付けにおもわず「オーッ」と感嘆の声。これぞまさに日本の味。ちょっと困っているのはサンパウロで飲んだコーヒー(エスプレッソ)があまりにおいしくて、日本のコーヒーが薄く感じてまずいこと。もうそろそろ本格的な仕事に入らなければならないのだが、仕事の気力がいま一つ湧いてこない。左足親指裏のあたりにイボができて、ときに猛烈に痛む。歩きすぎによる異常かと思っていたがイボ、タコ、魚の目の類の皮膚の病気だった。救急箱にあったイボコロリを貼る。

7月1日 巨人―ヤクルト戦をテレビで見ているうち事務所のソファーで爆睡。家に帰って風呂にも入らず寝てしまった。今朝の目覚めはまたもや朝の4時。これも時差ボケのせいにしていいものだろうか。明日からまた東京二泊三日の旅。まずは自分の体調をちゃんと管理することだ。体調を崩すと苦しむのは自分だが、それ以上に約束した人に迷惑をかけてしまう。その償いをするための時間は限られている。軽率な行動で人様に迷惑をかけても「償える時間がない」のだ。毎日バタバタしているとモーレツに本が読みたくなる。悪い癖だ。いま手元に三冊の本。『阿部昭短編集』(水窓出版)出口治明『〇から学ぶ「日本史」講義(中世編)』(文春)池内紀『ことば事始め』(亜紀書房)……とりあえず遠目で見てガマンガマンと呪文を唱えている。

7月2日 朝6時起床。そろそろいつもの暮らしにもどれそうな予感がするが、今日から東京。行き帰りの新幹線で仕事をすることにした。本は持たず、ブラジルで取材した録音テープの文字起こしをする。イヤフォーンで聴きながら揺れる車内で文字を書き起こすのは神経を使うし、やっかいな仕事だが、そのくらい集中すれば時間はあっという間にすぎる。ある人が「旅とはひっきりなしに起こる<新しい場面>です」といっていた。その通り、うまいなあ。

7月3日 東京にいる。なんだか目の前で起きていることが現実なのか幻なのか、遠くに意識が飛んでしまうことがある。もうあのアマゾンの日々は遠い昔で、サンパウロで出くわした100万人ゲイパレードのゲイたちだけが生々しく現実を想起させる。夜店に並んでいたボリビア移民たちの素朴なお土産品の数々が、突然夢に出てきたりする。現実はタクシーにもうまく乗れず、銀座のど真ん中で立ち尽くす自分がいる。銀座のど真ん中でアマゾンのテーラロシャの土埃を懐かしく思いだす。PCを開くと何通かそのアマゾンからメールが入っていた。返事を出すと、すぐにまた返信が来る。でもここ東京では、だれにメールをしても永遠に返事は来ないような心細さに感傷的な気分に陥った。早く秋田に戻って地に足の着いた感触をとり戻したい。

7月4日 いろんな意味で「初体験」づくしの東京だった。経験したことがひとつひとつあまりに強烈で、まだ自分の中で消化できず戸惑ったままだ。新宿の歌舞伎町では「ロボット・レストラン」という外国人専門の最新日本観光スポット(劇場)でショーを見た。これもものすごい衝撃だった。昔の唐十郎の赤テントや奇怪な見世物小屋の世界観でねぶた祭りとリオのカーニバルのノリで物語は展開する。進行はすべて英語だ。いやはや見るだけで疲れたが、ものすごいものを見せてもらった、という衝撃も強く残った。外国人には日本ってこんな風にイメージされているんだ。

7月4日 ブックカフェというのは好きになれない。銀座でこのブックカフェに出くわした。こんな一等地で本屋なんて成り立つのか、好奇心に負けて入ってみた。コーヒー代は560円、高くない。ところが棚の本のセンスがとんでもなく悪い。絵本や人生本、奇跡の言葉100といった「トンデモ系」本ばかり並んでいる。なかに洋書がかなり混じっていて著者名をよく見ると、すべて同じ日本人の名前で「RYUHOU なんとか」という新興宗教の教祖名。なるほどそうだったのか。田舎者の感想だが都会は怖い。こんな罠がいたるところに張り巡らされている。ブックカフェが新興宗教の宣伝基地だとは気が付かない。しかしブックカフェの究極の形は青森・八戸の「八戸ブックセンター」だろう。ここに勝てるブックカフェは日本にはない。すべて八戸市民の税金で運営されている本屋だから、赤字なんかまったく怖くないのだ。なんだかどちらもよく似てるなあ。

7月5日 郵便局に62円切手を買いに行った。100枚買おうと思ったのだが、近く値上がりするのを思いだし、30枚にした。絵ハガキに切手を貼って出す回数は月に10枚程度。それでも多いほうと言われるが、絵ハガキを出す人はもう「絶滅危惧種」になりつつあるのだそうだ。そういえばブラジルから日本に絵ハガキを出そうとハガキや切手を探したが、お土産売り場でさえ売っていなかった。誰に聞いてもブラジルー日本間の郵便代を知る人がいなかったのもショックだった。神戸の友人に年に1000通近いハガキを出す人がいる。ほぼ毎週、この人からは絵ハガキが届く。メールや電話よりずっとうれしいので、私も負けじと返事を書くのだが、それでも相手5通に対して、こちらは1通の割合。私の万年筆はこの絵ハガキ書きのためにだけあるといっても過言ではない。
(あ)

No.958

団地と移民
(角川書店)
安田浩一

 読んではいないがあの『ネットと愛国』の著者の本だ。ブラジル移民の話もあるのかな、という軽い興味で読み始めた。外国人実習生や排外主義者(ネトウヨ)の問題を追い続けている著者の最前線ルポだ。かつては夢と希望の地だった団地は、いまはスラム化し、外国人居住者のたまり場になっている。その団地があの排外主義者たちの絶好の攻撃ターゲットになっているというのは知らなかった。排外主義と団地の攻防最前線を訪ね歩きながら、その足はパリやブラジル人の出稼ぎにまで及ぶ。思っていた通りの労作である。 「まえがき」に興味ある記述を見つけた。終戦直後から未曽有の住宅難に見舞われた日本で、公共事業として42万戸の住宅建設計画を立案したのは当時の経済審議庁(現在の内閣府)の役人だった下河辺淳(しもこうべあつし)だ。この人物が戦後政治に与えた影響は大きい。近年亡くなったのだが、秋田の八郎潟干拓もオランダとの戦後賠償のバーターでこの人物が吉田茂に進言して成立した事業だ。一役人がこうした大事業を次々に実現させていった事実に少々たじろいでしまった。団地はただの廃墟や都市の限界集落ではない。

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