Vol.970 19年8月3日 週刊あんばい一本勝負 No.962


「老語」の行方

7月27日 暑い。麦わら帽子の世話になっている。ブラジル行き前に急きょ誂えたノースフェース製。洗えるしクチャクチャに丸められる。先日の東栗駒山にもかぶっていったのだが、なぜ帽子にはリボンが付いているのだろう、と疑問が生じた。単なる飾りだろう、と思っていたのだが、飾りだけなら世界中のメーカーが同じことをするだろうか。調べたらちょっと拍子抜けの理由だった。帽子の前と後ろをわかるようにするために必要なのだそうだ。

7月28日 ブラジルから帰ってから「食べたい」と思うものを我慢せずに食べている。甘いものが欲しくなり、コンビニで買っては食べる。身体に疲れが残っていて欲しがるのだろうが、まるで中学生だ。その結果、じわじわとデブになりつつある。そう気づいた日から「間食禁止」を自分に言い渡した。今日が間食禁止4日目。体重は順調に落ちている。身体が軽くなると山行が格段に「楽」になる。

7月29日 いま文学全集を買う人なんているのだろうか。書斎に「全集」(全8巻)があるのは一人だけ。阿部昭という作家だ。老後、ヒマになったらじっくり全集で読もうと買って置いたものだが、買うと全集は棚の肥やし。函から取り出すこともなくなる。全集本は重いから、読むのが面倒なのだ。読みたいと思ったらネットで文庫本を買えばいい。阿部昭はメジャーではないが根強いファンがいる作家だ。最近、水窓出版というまったく聞いたことのない出版社から素敵な装丁で彼の短編集が出た。書名はなんと英語。訳すと「3月の風と4月の雨は5月の花を咲かせる」というもの。没後30年たった阿部昭の作品が英語のタイトルで、狭山市にある小さな出版社から出る。これも面白い。

7月30日 毎日雨なので玄関工事も止まったまま。仕事も一段落してヒマ。読みたい本はあるのだが、そこに集中する気力が今ひとつ湧いてこない。梅雨が明け、スカッとした夏空に心身がさらされれば憂いも晴れるのだろうか。世のなかにはもっと楽しいことが満ち溢れていそうなのだが、私の前にそれはない。

7月31日 今日が梅雨明け。読んだ本の中に印象に残るコラムがあった。池内紀さんの「老語の行方」。某大新聞社の編集局長だった人物が退職後、地方新聞社に相談役として天下った。取材でその人物に会った時の話だ。ダンディなその人物は、過去にあった有名人たちを呼び捨てにし、栄光の昔語りに夢中、とうとうと編集局長時代の自慢話をやめない。この人物の語りを池内さんは「老語」と切り捨てる。生きてはいるが老いた言葉だ、というのだ。肉体の老いは鏡が映し出すが「言葉の老い」は自分でも気付かない。首に巻かれたおしゃれなスカーフでは言葉の老いは隠せない。確かにこの手の元エリート・ジャーナリストって、身近にもいるよなあ。

8月1日 PC作業中、突然、けたたましい警告音。画面には「ウイルスに感染ファイル発見」の文字。これもまぎれもない詐欺なのだが、またひっかかってしまった。もうまったく「恥ずかしい」の一言だ。しかし、これだけ堂々とPC上で犯罪がまかり通っているのに、手をこまねくというか、なす術がないのは問題だ。感染されたPCをリカバリーするのに半日かかった。そして典型的な騙されやすい老人になりつつある自分への嫌悪が募る。

8月2日 主人公が現代の若者で、彼には若者らしい野心も、若気の至りの勘違いも、意味不明な焦燥や恥ずかしい夢や希望もない。まるで明治時代のような青年が主人公の青春小説を読みたい、と思っていた。あった。小野寺史宜『ライフ』(ポプラ社)だ。大学卒業後、コンビニでバイトしながら、静かで気楽なアパート一人暮らしを続ける「野心も希望もない」27歳のフリーターが主人公。その主人公の隣の部屋に引っ越してきた「戸田さん」が主人公の人生の歯車を狂わせていく。さわやかな読後感だ。逆に前日、「お前は大正時代の作家か」と突っ込みたくなる田中慎弥『ひよこ太陽』(新潮社)を読んだ。何も書けず死の誘惑に取りつかれた作家の日常をダラダラ私小説風に記した「物語」だ。読んでるだけで十分憂鬱になる。同時代に同じ空気を吸っている作家でも、見える世界はまるで違う。
(あ)

No.962

レンタル何にもしない人のなんもしなかった話
(晶文社)
レンタルなんもしない人

確かテレビでこの人の存在を知り、ヘンな人だなあと思った。もしかすれば、この職業はこの本を書くために考えたもの……なのかなしれない。というのも、ひきをきらない様々な依頼に「なにもしない人」は交通費以外に報酬をもらっていないからだ。よくもまあこんなに依頼があるものだと感心しながら、でも、ただ働きだから当然か、とも思ってしまう。この辺の真意がよくわからなかった。いずれ本に書かせてもらいます、という前提があれば、これはもう悪徳企業への潜入取材のようなもので、面白いのは確かだし、売れるのも請け合い。この著者の前職は「編集者」だったというし、これはありうるなあ。同じ時期、客の依頼に応じて家族や恋人を演じる日本のレンタルサービス会社があるとのニュースも流れていた。それをドイツのヘルツォーク監督が劇映画化しカンヌで上演中なのだそうだ。これも似たような仕事だが、こちらの依頼主は圧倒的にシングルマザーで、夫や父親を演じる仕事をする人を集めるのだそうだ。後日、このニュースも実は「レンタルされた人」が会社の身内の人間だった人だとわかり物議を醸していた。著者も本書がヒットすれば逆に仕事(?)はなくなる運命なのかもしれない。

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