Vol.978 19年9月28日 週刊あんばい一本勝負 No.970


東京は、もういいかな。

9月21日 歩いて居酒屋まで行く途中、市民市場前におしゃれなカフェーがオープンしていた。「本と珈琲とインクの匂い」をうたい文句にしたブックカフェだ。インテリアに使われている本を見れば、どの程度の「本好き」なのかわかる。すぐに単なるインテリアだけの店であることがわかった。店内は若い女性たちで半分ほど埋まっていた。あのタピオカと同じ種類のブームなのだろうか。従業員がユニフォームのつなぎ姿で、膝まずいて客にサーブする。本の持つ自由さと相いれない奴隷的な雰囲気だ。先日も銀座でブックカフェに入ったら、ある新興宗教の宣伝のための場所のようだった。

9月22日 奥田英朗『罪の轍』はすごい小説だった。私の好きな「昭和30年代」が舞台というのも好評価のポイントだ。あまりに面白かったので過去作『オリンピックの身代金』も再読。この本を書くために集めた史料や取材メモが今回の『罪の轍』を書かせたとインタビューでこたえていた。この作家は愛知県生まれ。なぜこんなに昭和30年代の秋田の農村や人々の暮らしを克明に描くことができるのか。「身代金」の参考文献にあげられていた野添憲治『ドキュメント出稼ぎ』(社会思想社)も読んだ。迂闊にもこの処女作は読んでいなかった。本はこうしてつながっていく。これが読書の醍醐味だ。

9月23日 先日亡くなった森谷康市(天の戸の杜氏)君を偲ぶ会。森谷君が影響を受けた種麹屋K社長と作家Sさん、それに私と集合場所のギャラリー経営者H夫妻の5人の会。このメンバーに森谷君も入っていた。彼が逝く翌日、作家のSさん宅で森谷君あこがれの「杜氏の神様」濃口尚彦さんと会うことが決まっていた、というのだから無念だったに違いない。悲しいのだけど、なんだか楽しい宴席だった。

9月24日 もうこの年になると勉強のために本を読んだり、ベストセラー騒動に乗じて本を買い求めたりすることはない。のだが仕事上、読まなければならない本もある。農業新聞などの書評は編集部が指定してきた本を読む。読了するのがなり苦痛を伴う本もある。でも仕事だから読み通す。必ず発見や驚きがある。たとえば最近書評を書いた本では、ヨーロッパからアメリカ新大陸の大量移民は「ジャガイモの不作が原因だった」という。1929年のニューヨーク発の世界大恐慌は「第一次世界大戦の戦後賠償のためドイツの狂乱インフレが3年で1兆倍になったため」なんていう記述に出合うと驚いてしまう。本ってすごいなあ。

9月25日 東京二泊三日。年々、東京の魅力は薄くなり、ぼやけていく。この街は住んでいないと面白くない。お金がないと楽しくない。仕事をしていないと退屈だ。友人が少ないと地獄だ。とにかく飲食店が多く、外食が暮らしのデフォルトだ。逆に秋田ではほとんど外食する機会はない。東京で外食をして感じるのは酒が高いこと。東京で呑む日本酒は特に高い。東京で外食しない方法ってないだろうか。

9月26日 東京2日目。活動範囲は神保町周辺のほとんどが千代田区内だが自転車(電気自転車)移動する人が目に付いた。よくみたらレンタル自転車だった。いたるところに駐輪場があり、カードで簡単に借りたり返したりできる。千代田区がやっているもののようだ。東京駅付近では道路脇に電気自転車以外にも「電気自動車レンタル」もあった。小さなひとり乗りでスタイリッシュな車だ。昔のリヤカーを思い出してしまった。

9月27日 上野周辺には秋田の酒蔵の看板や、居酒屋に秋田の清酒名の書かれたノレンをよく見かける。これは昭和30年後半から40年代、秋田から東京に働きに来た出稼ぎ者たちが、ひたすら秋田の酒を飲み、秋田の酒以外呑まなかった結果、東京で秋田の酒が認知され、定着した結果だ。清水弟著『出稼ぎ白書』にそんなふうに書いてあった。出稼ぎ者だけでなく集団就職の若者も、就職先の手土産は決まって秋田の清酒。飯場でひたすら秋田の酒をのむ出稼ぎ者。秋田の酒の都市宣伝部隊は実は出稼ぎ者たちだったのだ。 
(あ)

No.970

楽園のカンヴァス
(新潮文庫)
原田マハ

 作家・原田マハに「ハマりつつある」。昨夜ほぼ徹夜状態で本書を読了。ちょっと劇画チックなところもあるが、ニューヨークのモマ所蔵アンリ・ルソー『夢』をめぐる美術史ミステリーで、思った通り夢中になるおもしろさだった。たぶん確実に彼女の美術小説は面白いだけでなく勉強になる、と踏んで、次に読む新刊『たゆたえども沈まず』(幻冬舎)も購入済みだ。こちらはゴッホをめぐるアート小説だ。70歳になる今日まで正直なことを言うと絵画の「印象派」というのがよくわからなかった。中高の美術の授業で習ったマネやモネ、ルノアールにゴーギャンにゴッホ……現在、名画と呼ばれるもののほとんどが「印象派」の画家といわれる。なぜ? 19世紀後半パリに突然現れた新人類芸術家たちのことぐらいの認識だったが、本書を読んでよくわかった。ようするに「写実」を唯一無二の美の基準とする従来のパリ画壇から「逸脱し、反逆し、汚らしい」(あるいはサロンと呼ばれる官展に落選した)、アヴァンギャルトな作家や作品に与えられた「蔑称」だったのである。19世紀後半のパリ画壇でもマネやモネたちは、いわれない抗議と脅迫を受け、画廊ですら作品を扱ってもらえなかったという。

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