Vol.996 20年2月1日 週刊あんばい一本勝負 No.988


身辺整理は猶予期間

1月25日 サンパウロの友人から白い粉が送られてきた。南米特産のキャッサバ(イモ)のデンプンからつくった粉だ。これをフライパンで焼いて食べる。お好み焼きの生地というかナンかタコスのようなものでチーズやハムを載せて包んで朝食に食べる。これが日本で大流行のタピオカだ。タピオカって南米のキャッサバイモのことなのだ。日本ではやっているタピオカは、そのキャッサバを黒蜜やハチミツで煮詰め菓子のように甘くして売り出した台湾発祥のもの。生地には何も包んでもおいしいが甘いものだけはダメというのがブラジルの基本的な食べ方だから、何とも皮肉なものである。

1月26日 太平山中岳登山。本格的雪山登山だ。といっても前岳途中までは雪はほとんどない。山頂の小屋は例年雪に埋まっているのだが今年は人が入れるほどむき出しった。例年より3メートル積雪が少ない、という人もいた。中岳の山頂からの眺望はすばらしい。青空と雪とはるか彼方の山々のおりなす光景は、もしかすると秋田の冬山のトップクラスの景観かもしれない。

1月27日 コピー機の調子が悪い。コピー機が動かないとまるで仕事にならない。どうにか午前中に動くめどが立った。故障の原因は名前のタグ印刷の際、粘着質のある紙が機械に巻き付いてしまい不具合が生じてしまったことのようだ。

1月28日 ゴーン逃亡劇の話題は下火。知り合いの法曹関係者によると、ゴーンは日本で裁判を受けても無罪の可能性が高かったのでは、という。この海外逃亡劇は前代未聞と言われるが、いやいや許永中がいる。あの「戦後最大のフィクサー」と言われた巨額詐欺・イトマン事件の犯人だ。彼は保釈中の97年、妻の実家の法要を理由にソウルに出国し、そのまま行方不明になった。ゴーンの先駆けである。そして2年後の99年、東京都内で身柄を拘束される。この逃亡の2年間、許は実は日本にいた。ひそかにソウルから日本にとんぼ返りしていたのだ。許は何事もなかったように高級ホテルに泊まり、グルメ三昧の日本暮らしを楽しんでいたのだ。これは自身の本『海峡に立つ』(小学館)で書いている。日本で服役中、今度はソウルでの服役を希望し認められる。今はソウルで釈放され様々な事業を手掛けているのだそうだ。本は思ったほど面白くはなかったが、暴力団と政治家と大企業をつなぐ「フィクサー」という存在の意味がよくわかった。

1月29日 美味しくないサイフォン・コーヒーは「淹れ方がダメ」とSシェフに怒られ、直接指導され、少しは飲めるようになった。漢方便秘薬の服用を辞めたが、ようやく自然便通が戻りつつある。温泉ジムももう三週目で8回目。ストレッチと筋トレをして20分ほどバイクに乗るだけだが、けっこう充足感がある。整理した音楽CDのおかげでデスクワークも調子がいい。昨日はボサノヴァ、今日はピアノソロ、明日は現代音楽……と選択肢が広がった。新しい趣味がひとつ増えたような新鮮な毎日だ。

1月30日 長年取材をつづけたアマゾンの日本人村の本を書かなければならないのだが、それを先延ばしして、いろんな理由をつけて問題から目をそらしている状態だ。作家の南木佳士は最近の新聞エッセイで「(散歩をすると)血流のよくなった身は歩くことそのものの快に満たされ、言葉で世界をかたどろうとする無鉄砲で難儀で不健康な座業にもどりたがらない」と書いていた。この作家にして「座業」はやはり苦痛なのだ。さらにこうも書いている。道に積もった落ち葉から「もう根に帰ったらどうだい、と諭されてうれしくなる」。これを「落葉帰根」というのだそうだ。昼から友人たちと酒を呑み、「だれも責任を負わなくていい昔話にのめり込み」、とりあえず今生きて在る事実を確認する。なんともわが身に照らしても当てはまることばかりだ。

1月31日 日本酒の味が分かりかけてきた。きっかけはある本で、日本酒に関するこれまでの「偏見」や「こむずかしさ」の正体を解読していた。この本を読んで、そうだったのか、と目からウロコが落ちた。話は変わるが「ぬか漬け」は毎日攪拌しないと腐ってしまう。なぜかというと特定の菌が底や表面に集中的に発生して「菌のバランス」が崩れてしまうからだ。手でかき混ぜ、空気中や手に着いた乳酸菌を混ぜこみ微生物のバランスを整える。日本酒の「山廃」(山おろし廃止)というのも、ぬか漬けの攪拌と似ている。バランスよく微生物に働いてもらうため、「山おろし」をしてバランスをとり乳酸菌を付着させる。すべて微生物の良好な生育を願っての行為だ。

2月1日 事務所の机周りの整理に精出している。「今日は食器棚の下の引き出し」とか「保管庫のスポーツ関連類」とか「台所の戸袋」と制限をもうけてやるのが飽きないコツだ。本や仕事や音楽から離れて、一心不乱に集中できる。しかしこんなに熱心にやるとあと数日で整理する場所がなくなってしまう。もともと「やらなければならない自分の原稿書き」から逃げるために考え出された方便なので、身の回りがすっきりしたら今度は心中深くに巣くっている毒素(原稿)を吐き出さなければならない。それまでの猶予期間が整理整頓というわけだ。
(あ)

No.988

おいしいお酒の選び方
(ディスカヴァー携書)
山口直樹

 7月に「天の戸」の杜氏・森谷康市君が61歳の若さで亡くなった。死因はエコノミー症候群。もう森谷杜氏の酒は来年からは飲めなくなくなってしまった。個人的な付き合い(著者でもある)があったので、去年後半は、鎮魂、哀悼の気持ちもあり、ずっと森谷君の造った酒ばかり飲んでいた。とは言っても実は日本酒の味の違いはまったくといっていいほどわからない。日本酒音痴だ。ここ数年はほとんどウイスキー派で、和食も中華もイタリアンもウイスキーのハイボールで十分な体質になってしまった。日本酒がむずかしいのは、本書によれば、「通説が多いこと」「なにを言っているか日本語の意味不明」というこ理由からだそうだ。辛口がうまいだの、燗は悪酔いする、といったたぐいだ。「辛口」が旨さの定番のように口にされるようになったのはバブルのころの淡麗辛口ブームやアサヒスーパードライの登場あたりからだ。この辛口信仰が誤解だけを増幅してしまった。辛さは味ではなくアルコールの痛みだ。本来の日本酒は「甘さ=うまみ」が代表する味覚だという。温めて酒を飲むのも逆に悪酔いしないための考えられた慣習で、この際は酒と同量の水を飲むのがいいそうだ。雪が降る季節になると日本酒の燗酒が懐かしくなる。本書を読んで少しは日本酒への理解と敬意が深まった。もう辛口信仰からは卒業できそうだ。

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